あきの忘備録

あきのの外部記憶装置

堕天使的に考えて、

善子ちゃんって、数字に対するこだわりが人一倍強いですよね。

儀式的な意味合いとか、ジンクスにまつわるものなのでしょうけれど。

 

公式のメンバー順では善子は6番の数字を与えられていますが、悪魔的には「6」ってとても重要な意味合いを持つ数字みたいですね。

Aqoursに加入した順番も6番目で、これもまた運命的です。

自身の堕天使性であったり不幸属性を象徴するような、まるで彼女の運命についてまわる宿命のような数字なのかもしれないな。なんて考えています。そんな彼女にとってはアイデンティティのような「6」ですが、堕天使以外の普通の人間からすると不吉で忌み嫌われる数字かもしれません。なぜなら。よくわからないけれど、たぶん悪魔は怖い。

 

彼女の数字にまつわるエピソードで、劇場版の話を思い出しています。

併合先の沼津の高校、部活説明会のステージで6人での最初のライブを行おうとするAqours。9人で立つステージとの違いに戸惑う彼女たちですが、善子は「6」という数字に対して妙に深刻な表情を浮かべて何かを考えていたようでした。

そしてライブはものの見事に失敗。しかもなぜ失敗したのかはっきりとした要因が彼女たちにもわからず、反省はするも漠然とした不安に包まれます。

善子はもしかすると、自分のせいだと思ったのかもしれません。6という悪魔的な数字がAqoursの運命を変え、自身の不幸属性に巻き込んでしまったのではないか と。

失敗したステージを後にして商店街に戻ってきた6人がしょんぼりしているシーン、善子だけがやけに他のメンバーから離れて孤立していましたよね。あれはもしかして、数字が6にならないようにしていたのかな......なんて想像は考えすぎでしょうか。

彼女が最初にAqoursに加入した際、やっぱり堕天使にスクールアイドルなんて無理だと一度は脱退しようとしたことがありましたね。その時もあの子は「迷惑かけちゃうから」って言ってたんですよね。偶然か運命か、その時も数字は5と6の間を行ったり来たりしていました。

 

ラブライブ!サンシャイン!!という作品自体、物語をわかりやすく伝えるために数字に大きな意味を与えていたり、という手段はよく使われていますよね。

「0」から「1」だったり、「10」から「100」だったり。「6」や「9」にも特別な意味合いが付加されている物語なだけに、もしかするとそういうことだったんじゃないかなって思います。

なにしろ、善子は優しい子ですから。

 

あの子はいつもみんなより下がった立ち位置でメンバーを見ていますから、誰よりも8人のことを気にかけてきたのだと思います。全員を見渡せる立ち位置だったからこそ、誰よりも数字に敏感でいたのかもしれない、など。

あの子が最高の笑顔を見せるのは、いつだってみんなのこころがひとつになって輝いている時。そんな善子が悪魔的な数字である「6」よりも「9」を大切にしてくれたであろうこと、とても素敵なことだと思います。

 

小林愛香さん。

津島善子に寄り添ってきたからこそ、きっと他のどのメンバーよりも数字に思い入れてきたことかと思います。

彼女がずっと「10人目」を大切にしてくれていることも、もしかすると最初の由来はそんなところにあるのかも。なんてね。

 

 

 

そんな善子ちゃんのことを考えていた1日でした。

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ハッピーバースデイ、堕天使ヨハネちゃん。

 

 

明日は今日より夢に近いはずだよ

もしかすると、人生は果たされない約束の積み重ねだ。

 

 

 「また、いつか」「また、会いましょう」

 

そう言葉を交わしたまま、この先二度と会うことのない人がどれだけいるだろう。

再開の約束とは、往々にして約束ではない。

それはもはや約束などと呼べるような代物ではなく、ほとんど願い事だ。

それはまるで、当て所ない未来へと向けて投げられた紙飛行機のようだとも思う。

誰もが皆、約束した未来へとたどり着くために、風が吹くことを願っていた。

きっと、ずっと。

 

────風を待っていた。

 

 

 

 

 

μsicforever♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

 

 

 

それは途方もない喪失 だった。

私たちの多くが体験したであろう3年前のその喪失は、言ってしまえば「運命的な大恋愛の果ての、壮絶な失恋」のようなものだった。

どれだけ大きく手を振っても、どれだけ大きな声で名前を呼んでも、私たちの全ては私たちだけのもの と言わんばかりに、その輝きの瞬間は"円"の中に閉じ込められた。

 

いよいよ夢のような時間が終わるのだな、ということをアニメではなく現実の体験として実感した瞬間、私たちは「いま」という時間が永遠に続くことを願った。けれど彼女たちは時を進めることを選び、時が巻き戻ることはなかった。

彼女たちは「いま」から切り離されることで永遠になった。

 

 

 

 

 

💍

 

 

 

 

 

声は届きませんでした。

 

μ's FINALは地元の映画館で見届けたので、あの時は彼女たちに向けて直接声援を送ったり、感謝の言葉を叫んだり、名前を呼んだり、できなかったんですよね。

だからでしょうか?よりいっそう彼女たちが「手の届かない"向こう側"に行ってしまった」という喪失感と、「なぜもっと」「早く」「本気で」という後悔の念が、胸の中に黒い影を落としました。

その影を拭い消し去ろうとするかのように、私はラブライブ!シリーズでμ'sの後継にあたる「Aqours」の輝きを追い求めるようになります。

 

 

 

時は流れてAqours 4th Lovelive! 〜Sailing to the Sunshine〜

 

4th直前の記事でもお話ししましたが、私にとって東京ドームはAqours 4thが初めてで。

4th LIVE 2日目、満を持して東京ドームで披露された『HAPPY PARTY TRAIN』。

 

「開いた花の香りから受け取ったよ次の夢を」

 

ついにあの舞台で新たな文脈を汲んで紡がれるこの曲に、万感の思いで聴き入りました。

この歌詞が背負う重圧を、果敢にも一身に受けてきた諏訪ななかを見る。なんという堂々たるセンター力か。

Aqours9人があの時、確かにドームに立つ資格を手にした上でステージに立っていたこと。きっと誰の目にも明らかだったことでしょう。

もちろんドームに立つ資格とは、箱を埋めうる集客力のことを指して言っているのではありません。先駆者たちの威光に霞むことのない輝きと、そしてそこに並び立つ覚悟のこと。自分たちが絶対的に自分たちであるという確信を、その誇りを、Aqoursはステージの上で見事に証明してみせました。

 

「開いた花の香りから受け取ったよ次の夢を」

 

次の夢は確かにそこにあった。

歌詞に歌わされる彼女たちではなく、彼女たちの生き様が物語を証明して夢を現実に変えていく。新たなる物語の担い手たちはついに胸を張って、あの東京ドームで、偉大なる先輩たちに「受け取ったよ」とアンサーを返せたのかもしれません。

 

 

 

 

 

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そして迎えた東京ドーム公演2日目の終演。

彼女たちは──いえ、あの子たちは見事にやってのけました。2日間にも渡って巨大なドームを幸福で包み込み、輝きで満たしてみせたのです。あんなに小さな体で。

2日間で10万人以上もの観客に向けて声を、パフォーマンスを、そのエネルギーを届けるということは肉体的にも精神的にも、そして技術的にも並大抵のことではありません。Aqoursの9人が東京ドームでの公演を行うと知らされて以来、1年以上もの準備期間を経ての、険しい道のりの末に辿り着いた"頂"の境地でした。

 

3年前。偉大な先輩たちが5万人もの観衆から熱狂的な、それはもうほとんど狂騒のような声援を浴びている姿をAqoursは目撃しました。

あまりに巨大な感情でその名を呼ばれ、存在を求められるμ'sを目の当たりにしたあの時。まだ何者でもなかった9人の少女は、本物の絶望と対面しました。

「絶望。」小宮さんははっきりとそう口にしていましたね。

「私たちがこれからどういう事をしていかなければならないのか」という使命を"理解"した逢田さんは、「私たちには無理だ。」そう思ったと話していましたね。*1

 

 

 

Aqours 4th LIVE 2日目。

あの日私には、ある確信がありました。

3rd LIVEで伊波さんは、「みんなが信じてくれたから跳べたんだ」とそう話していました。だからこそ、彼女は私たちを信じてくれているはずである と。

 

アンコールの演目を終え、会場中を渡り歩いて「ありがとう」のやり取りをするAqoursと観客。まだ名残り惜しそうな雰囲気の中、迷いなくセンターステージから全速力で駆け出しメインステージへと上り詰めた伊波杏樹。確信的な後ろ姿を見せて先陣を切る彼女の姿を見た時、直感的に思ったのです。これはメッセージだと。

声援を振り切って肩で風を切るその姿が、私たちがもう一度Aqoursの名を呼ぶことを信じてくれているようにしか見えなかったのです。予定調和ではない、本物のダブルアンコールのために。

 

 

私には確信がありました。

あのままAqoursを帰らせるつもりは毛頭ありませんでしたし、絶対に呼び戻してやるんだという衝動が私を突き動かしました。

あの東京ドームで、他の誰でもなくAqoursの名を呼ぶ、絶対に声を届ける。

あの時はできなかったことが、今ならできる、今しかできない。

「ありがとう」の気持ちは「いま」伝えなければ絶対にだめだ。

 

 

 

疑心暗鬼と戸惑いに包まれていた空気は、やがて膨大な熱量を孕んで膨れ上がっていきます。

そしてついに会場を包み込むAqoursコール。

東京ドームが巨大なひとつの感情で満たされた時、私は勝利を確信しました。

彼女たちがステージに戻って来ずとも、確実にこの想いは舞台裏まで届いている。その時点で私の願いは成就されました──計らずして2年半越しに。

 

 

 

人生には時々びっくりなプレゼントがあるみたいだ。

止めどなく溢れる声援の最中、ステージに眩い白い光が落とされると──そこに姿を現したのは、偉業をなし遂げた9人のヒーローでした。

 

 「こんなにたくさんの人たちが、わたしたちAqoursのことを呼んでくれた」

「やってきてよかったなー!」

 

高らかに、誇らしげに声を上げる伊波さん。

今にして思えばそれはアニメ2期13話のAqoursの姿にも重なるもので、「眩しい世界で呼ぶ声が聞こえた」と歌う『青空Jumping Heart』はラブライブ!決勝のアンコール曲でしね。

あの子たち現実のAqoursにとって、ラブライブ!優勝に相当するような「私たちはやったんだ!」と胸を張れるような、明確な"結果"を手にしたのはあれが初めてだったのかもしれません。アニメ2期のAqoursの背中を追い掛ける3rd LIVE TOURを経て、やっと劇中のAqoursに肩を並べられた瞬間。

後日逢田さんが「初めて報われた気がした」とお話しされていたように、私たちがこれまで見届けてきた表舞台での成功とは裏腹に、想像もつかないような苦悩と葛藤を積み重ねてきた2年半だったのでしょう。

 

「私たちには絶対無理だと思った、恐れ多かった」

 

ダブルアンコールでステージに立った伊波さんは、目に涙を浮かべながらそう打ち明けてくれました。責任や立場のある人が弱さを見せるなんて、それは弱さを乗り越えた人にしかできない、許されないことです。彼女はいつだって奇跡のような光景を私たちに見せた上で、実は私も人間で、私も最初はみんなと同じ"0"だったと打ち明けてくれる。彼女のステージ上での姿が輝かしければ輝かしいほどに、その言葉は私たちの胸を打つ。勇気を与えてくれます。

伊波さんはこれまで幾度となく私たちと約束を交わしてきました。2nd LIVE TOUR千秋楽での、「絶対びっくりさせてやるからな!」「何を言われたって絶対輝いてやるんだからな!」もそうでしたね。

そんな伊波さん率いるAqoursは、またあのドームのステージに戻ってくると約束してくれました。Aqoursの残りの活動期間の中で果たしてそんなことが可能なのか、それはさっぱりわかりません。あれはきっと"紙飛行機"だったのでしょう。であれば、私たちは共に輝きを目指す風であり続けるしかないのです。

 

 

✈︎

 

 

あのダブルアンコールのステージで、伊波さんと、Aqoursの9人がマイクを通さずに私たちに想いを伝えようとしてくれた時。

針の穴に糸を通すような緊張感で5万人が呼吸を止め、ステージの一点にその全ての視線が注がれた瞬間。

この世界で最も美しい静寂が、まるで時が止まったかのように真っ白な刹那が訪れました。まるで時間すらも呼吸を忘れてしまったかのような、真っ白な静寂。

 

 

 

一拍置いて私たちが相見えたのは、初めて鼓膜に届いた真実の声でした。

思っていたよりもはるかに繊細で、それでいて生命力に溢れていて。

紛れもなく心の奥底から溢れ出た剥きだしの感情に、曇りなき本物の輝きを見たのです。

 

 

  

 

 

 

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もしかすると、人生は果たされない約束の積み重ねだ。

 

3年前のあの日、本来であれば果たされないであろう約束を、きっと私たちは交わして しまった。約束は当て所なく宙に浮かんだまま、約束は約束ではなく永遠に願いのままだったかもしれない。そういう運命だったのかもしれない。

けれど風向きは変わった。

新しい時代の風が吹いた。

結果として、私たちは光る風になったのだ。

この先にはもっとすごい、予想だにしないような大きな流れが待ち受けていて、私たちをまだ見ぬ輝きの景色へと誘ってくれる予感がしている。

 

 

 

μ'sが再びステージに立つ日が来る。

それも9人ではなく、場合によっては29人の。

あるいは58人のステージだ。

 

スクールアイドルの輝きが広がっていく、そして繋がっていく。

高坂穂乃果の願いが夢のままで終わることなく、現実のものとなっていく。

SUNNY DAY SONG』がステージ上での体現をもって完成される日が来るかもしれないなどと、あの頃にいったい誰が想像したでしょうか。

 

夢はまだまだ終わらない。

それどころか、"みんなで叶える物語"はもっと大きな夢を欲している。

"みんな"が輝きを追い求める限り、きっと誰に耳にも青春が聞こえる。

 

栄光の瞬間を切り取った永遠ではなく、彼女たちと共に輝きを追い求める「いま」を続けていくことこそが、"μsicforever♪♪♪♪♪♪♪♪♪"のあるべきかたち。それこそが"10人目"としてあるべき姿なんだ、ということを今は自然に感じていて。

"いまが最高!" は"君のこころは輝いてるかい?" に対して "Yes!!" と答えることと同じだとも思う。がむしゃらに輝きを目指して進み続ける彼女たちに負けないように、私自身もまたそうあるしかないのだと。

以前は"10!"と叫ぶことや"Yes!!"と答えることに対して気遅れや葛藤がたくさんあって、胸を張ってそう思えないこともあったけれど。今はもう少し前向きに思えてる。

それはきっと、Aqours 5th LIVEの『Next SPARKLING!!』のステージで、「新しい輝きへと手を伸ばそう」と歌う彼女たちと共に、輝きへと手を伸ばそうとした自分との思いがけない出会いがあったからかもしれない。

ラブライブ!はいつだって、まだ出会ったことのない自分との出会いを与えてくれる。

 

 

 

いつだってラブライブ!は私たちと共にある。

いつだって、どんな時もずっと。

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*1:シブヤノオト Aqours東京ドームへの道より

渡辺と津島は顔がいい

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あのさ

 

ちょっと海、寄っていかない?

 

いや、大した用はないんだけど

 

用はないんだけど、曜はあるっていうか

 

ツノはあるっていうか

 

羽もあるっていうか

 

虹もあるんだけど

 

あのね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#じもあい

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曜アンドエンジェルが好きだ。

なんとなく見た目が良いから。

 

"ようよし" よりは "曜アンドエンジェル" が好きだ。

なんか平和だから。

 

誤字してるから善子が書いたなんて放送当時は言われてたけど、そこのところはきっちり修正されてる。ってことは曜が書いたんだろうなって思う。

1期の善子はきっと、自分のことをエンジェルなんて呼ばない。

きっと曜が「善子ちゃんのことはよくわかんない。けど、たぶん天使か何かなんだと思う」ぐらいのふわっとした認識で書いただけなのだと思う。

善子が自分の中の「堕天使」という概念に対してどんな気持ちを持っているのか、曜は知る良しもない。善子は「だーかーらー!ヨハネだってば!」と都度抗議しているはずだけれど、おおよそ他人からは理解されないであろうその概念に「ちょっとよくわからない」と眉をひそめつつも、理解できなくても善子ちゃんは善子ちゃん。というスタンスで、ありのままの善子は曜は受け入れてしまう。

「堕天使ヨハネ」は他人からは受け入れられないはずの存在だし、その世間とズレてる異質な存在はひとことで言ってしまえば「面倒臭い」だ。善子にとって、自分は面倒臭くて迷惑な存在。それなのに、曜は細かいことを全く気にせずフラットに、善子をひとりの普通の人間として扱ってしまう。

理解されないのに存在を肯定されてしまうというのは、善子にとっては実に居心地の悪いものだと思う。でも曜はひとっとびでコミュ障の後輩とも距離を詰めてしまうような明るい性格の子だし、面倒見もいい。

善子にとっては自分の在り方が深刻な問題であったとしても、曜にとっては「そんなの関係ないってー。」取るに足らない問題なのだ。

 

平和だ。

 

それは善子にとっては何もない "0" の自分を肯定されるのと同義で、千歌が堕天使ヨハネを受け入れたこととはまた違う形の肯定。

おそらく、善子は少なからずこの能天気で無駄に元気な先輩に救われたことだろうと思う。

 

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善子、たぶん友達とプリクラ撮ったことないでしょう。知らんけど。

知らんけど、いいよねこの笑顔。

曜アンドエンジェルがナンバーワンなのもわかる、絶対そうだと思う。

 

翼が描かれてる場所、おかしいけど。

ベレー帽から生えてるじゃん、鹿かトナカイみたいになってる。

普通そこに描くなら天使の光輪とかじゃない?

このどうしようもない解釈違い感、やっぱり曜は全然わかってない。

 

 

 

今日も曜アンドエンジェルは平和だ。

 

 

 

 

 

#全人類リトルデーモン化計画

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陰キャ陽キャに振り回される構図、いいですよね。

まぁ陽キャっていうか曜なんですけど。

 

それまでの人生で全く関わりがなかったであろう、人気者で元気な体育会系の先輩との接し方に戸惑う善子、でもまんざらでもなさそうっていうか、むしろい内心けっこう嬉しいみたいなのいい〜〜〜〜って思ってたんですけど。

 

上記の画像ぐらいしかそれに近いシーン特になかったですね。

 

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こちらは "天界からの使者によってもう一つの世界が現出したような違和感" がわからないようよしの図ですが、戸惑ってるのは曜の方なんですよね。。

ともあれ、曜はわからないなりにくそ真面目に堕天使ヨハネちゃんと向き合おうとしている、という真摯な姿勢が見て取れるのでとっても愛おしいです。

 

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でも劇場版のこのシーンはすっごくイイ。

この時多分、曜は他のメンバーの存在にも気付いてるんじゃないかと思うんですけど、善子が真っ先に尻尾出してくれたからツッコミやすかったんじゃないかな〜と思うんですよね。むしろ善子は自分からツッコマれに行ってる。曜はみんなに尾行されてるっぽいことには気付いてるんだけど、気付いてるけど絶妙に気まずい〜〜〜〜みんな尾行下手くそかよ〜〜〜〜ツッコミづらい〜〜〜〜って感じ。そんな 曜だから、善子以外のメンバーには「よ・し・こ・ちゃ・ん?」みたいな圧のある態度はできないと思うんだよな〜〜〜〜〜〜っていうか曜に善子みたいなアホな子分(?)(とても失礼だな?)がいるのってすっごい良くない?いやすっごく良い。実にいい。曜はひとりっこだから、いたずらっこな弟ができたような感じにならない?いや、なる。なるでしょ。

リアルこそ正義 、リア充にわたしはなる!

 

・・・⛵️。

 

そもそも曜、月からの電話を受けて誰にも何も告げずに黙って店を抜け出してる時点できな臭いというか、何かしら隠し事があってそれをひとりで抱え込もうとしてるのは明白だし、いやそういう所やぞ。

月サイドの視点で見てみれば、生徒会長である自分が浦女の生徒と仲良くしてたら、そりゃあ立場上いろんな方面に角が立つだろうし、相手が従姉妹であろうと浦女の生徒と密会するなら変装しててもおかしくないよね〜。そりゃ目立ちたくはないよね。だからと言ってこっそり抜け出す必要はなかったはずの曜だし、その、なに?気の使い方って言うか、そういう所やぞ。

ほら見ろ小原、あんたがあんな感じだったから。あんたの背中を見て育った後輩はこんな感じになっちゃったぞ〜〜〜。

そんな面倒くさい感じの先輩をさりげなーく、誰にも気付かれることなしにそーっとフォローしてあげる善子isマイジャスティス。善子のそういう所やぞ。じもあいはここにあります。じもあいです。

 

 

 

 

😈😈😈😈😈😈😈😈😈😈

 

 

 

 

 

だらだらと曜アンドエンジェルの話を垂れ流してぇな〜と思って書き始めてみたんですけど、アニメ世界線だと供給が少なすぎてほとんど妄想しかできないですね。

 

あと劇場版の善子の話をいっぱい書きたかったんですけど、眠いのでまた今度にします。

 

 

 

 

 

 

#ヨハネセンターへの堕天ロード

不幸とか不運とか、そういうのもういい。

全世界で最高のハッピーをあいつの背中に背負わせてやりたい。

あいつは身に余ると幸運を素直に受けとらなさそうだし、

逃れようがないぐらい無理矢理にでもステージの真ん中に立たせて、

真っ白なスポットライトで、あいつただひとりを照らしてやりたい。

 

 

 

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いや、そこではないです。ステージに立ってください。

 

 

 

 

 

善子ちゃんに羽を広げられる場所を与えてあげたい人は

善子ちゃんに投票しましょう。

あと渡辺のオタクも善子ちゃんに投票しましょう。

 

投票期間あと12時間切ってるけど、1票でいい。

これで誰かの0が1になってくれたら嬉しい。

 

・・・もう少しまじめに書けば良かったな 

『想いよひとつになれ』はつらいですか

東京ドーム公演を1週間前に控えた先週末、「Aqours First LoveLive! 〜Step! ZERO to ONE〜」の無料配信が行われましたね。

全世界でなんと数万人もの人があの配信を観ていたようです。

詳しい人数は知りませんが、たぶん横浜アリーナ2〜3個分ぐらいです。

それでも東京ドームの収容人数よりは少ないのか、と思うとドームどれだけ大きいんでしょうね、わたし行ったことがないのでよくわからないんですけど。

 

 

さて。

「Aqours 1st LIVEの2日間を全編、無料配信します!」っていう公式からの告知を見た時、あなたは最初に何を考えましたか。

 

恐らくなんですけど、ちょっと身構えたはずです。

 

2日目の『想いよひとつになれ』と再び対峙することになるのか、と。

あれは壮絶なステージだったと記憶しています。いえ、記憶の中の映像としてはひどく断片的で途中が抜け落ちているシーンも多いのですが、身体の感覚としてあの時のことが本能的に刻まれてるんですよね。

あんなにも巨大な感情に突き動かされるような極限のライブを体験することは、金輪際ないだろうと思いました。そしてその予想は今のところ、私にとって事実となっています。

 

あのライブに対して「感動した」とか「奇跡だ」とか「勇気をもらった」とか、人それぞれ色んな感情を抱いていることかと思います。それは良いでしょう、受け取り方は千差万別。

ですが、この曲に対して少なからずトラウマのようなものを感じたり、この曲を聴くとつらくなってしまう人がいるみたい。ということを、先日の無料配信のリアルタイム実況を眺めていて改めて思ったんですね。

たとえば、逢田さんが涙する姿を見るのがつらい、という人とか、梨子ちゃんや逢田さんのことが大好きなのに、あの場に居合わせることができなかった。応援することができなかった、という事への負い目を感じている人とか。いろいろです。

 

どんな形であれ、逢田さんは自身のチカラであの極限状態の局面を乗り越えてくれました。それは「奇跡」などではなく彼女の真摯にして愚直な努力の積み重ねの成果であり、ただその場に居合わせただけの観客が安易に奇跡などと口にするべきことではない、とか、失敗をただ美談として扱うのは彼女の作品や音楽への誠意に対する侮辱である、とか、失敗が起こる可能性を考慮した上で対応策を用意していなかったであろう運営の不信とか、私が目にしただけでも本当に様々な思いを抱いている人がいるんですよね。

 

ですが、何が正しいとか、そういうのは一旦置いておきましょう。

 

このライブに関して逢田さんはインスタや雑誌のインタビューなど、かなり多くの媒体でこの件について語られています。ですので、彼女自身が何をどう感じているのかについては、調べればちゃーんとぜんぶ出てきます。

ですが、すべてのファンがそれら全てを知った上で『想いよひとつになれ』と良好な関係を築けているかというと、全くそうではない。

ようやく本題に入りますが、ここで問題なのは真相はどうであれ、多くの人が『想いよひとつになれ』という曲に対して「しんどい」を抱えていることなんです。

 

本当にいい曲なんですけどね。

 

わたし渡辺曜ちゃんのオタクなので「友情ヨーソロー」は特別な思い入れがある回なんですけど、ある時ある人が云われたんですよ。「想いよひとつになれ は梨子ちゃんの代わりに曜ちゃんと千歌ちゃんがダブルセンターをつとめた曲なのに、梨子ちゃんの曲みたいになっちゃって。曜ちゃん推しの人にとってはかわいそうかなって」と。

なるほど。

確かに云われてみればそう思っている人もいるのかもしれない。

 

 

劇中挿入歌はアニメの物語のために生まれたもの。

いえ、シナリオとコンセプトを基にして楽曲は生み出されている。であればアニメの物語によって楽曲が生まれたと言った方が正しいでしょうか。

いずれにせよ、本来であればアニメの背景を携えた楽曲として存在するはずのところが、ライブで披露されることで次元を超えて、楽曲が新たな文脈を得て、そこにまた新たな物語が生まれる、という流れ。

次元の壁を行ったり来たり、2.5次元コンテンツらしいといいますか、実にラブライブ!らしい構造だと思います。

 

この重層的な背景からくるエモーショナルこそが、他のコンテンツでは味わえないような圧倒的な感動体験に繋がっているのは言うまでもないことなのですが。

これらと向き合う際の感情の処理としてはとても複雑で、一口で呑み込んで味わうのは容易ではない場面がとても多いんですよね。

人間の感情は多重レイヤー構造になっています、ミルフィーユみたいなものです。

食べてみたらミルフィーユなんだけど、中に何が入ってるのかはよくわからない。

 

ラブライブ!関連の楽曲を聴いたときに頭の中がぐちゃぐちゃになってしまって「しんどい」という状態になるのがこれにあたるかと思います。

 

これが時として自分の中で矛盾として作用してしまい、無意識に自分を苦しめてしまう場面があるな、ということに私は気付きました。

最初に『想いよひとつになれ』を客観的に見た時の印象を例に挙げましたが、最近の私の実体験では、CYaRon!ちゃんのファンミ松山公演LV(はちゃめちゃに盛り上がって楽しかったはずのやつ)で号泣地蔵と化してしまい『勇気はどこに?君の胸に!』を歌うことができなかったり。キャストを含めた「みんな」が笑顔で楽しい時間を過ごそ〜ってなってる時に、自分だけついていけなかったり。感情が迷子、理性的にはそういう場面じゃないってわかってるのに「つらい」になってしまう。

「つらい」→「たのしい」にうまいことスイッチ切り替えられたら良いんですけど、どうしてもうまくできないこと。あるよね〜。

何しろ私たちは何もかもに思い入れをし過ぎているので、ノイズや葛藤が多いのです。

 

 

 

 

閑話休題。

 

 

 

 

ここで『想いよひとつになれ』の話に戻りたいのですが、この曲が「めっちゃしんどい」になってることをキャストやラブライブ!運営陣はよ〜〜〜く知ってるはずなんですよね。

特に逢田さんに関しては、SNSでのコメントやお手紙などでファンから直接声を届けられている(それも尋常ではない数の)(ものすごく感情的なメッセージを)。インタビューを読んだりSNSのコメントを見る限りでは

「もういちどピアノに挑戦して欲しい」

「もういちど(Aqoursに)想いよひとつになれをやって欲しい」

みたいな声がすごく多くて、これはさすがに運営陣にも届いてるんじゃないかと思う。では4thでは1stと同じような形式で同曲が披露されるか、ってなると、どうかな〜って楽しみな部分ではありますよね。

 

ラブライブ!サンシャイン!!のライブのセトリってすごく姿勢が一貫していて、楽曲が披露されるにあたって「必然性」や「文脈」っていうのがすごく重要視されてるんですよね。

1st LIVEはアニメの再現にこだわったものであったでしょう、アニメ→1st LIVEという時系列の流れの中でキャラクターにキャストが追いつくことが求められた。両者は「輝きを目指す」スタート地点が違いますから、ライブで再現、延いては体現をすることでキャストは初めてキャラクターと足並みを揃えることができるのだと思います。

1stでは『想いよひとつになれ』のアニメの再現ばかりか、それを上回る超現実を見せてくれました。

では4thで同曲が披露されることの「必然性」は?

もちろんファンがそれを望んでいるのであれば、ファンの期待に応えるという意味では必然かもしれません。

 

4th LIVEのタイトルは「SAILING TO THE SUNSHINE」。1st LIVEがAqours9人の船出であったとするならば、4th LIVEはAqoursと"みんな"を含めた10人での船出になるというコンセプトですね。

キャラクターにはできないことがキャストにはできるし、アニメではできなかったことも現実ではできる。9人だけでは辿り着けない景色に10人なら辿り着ける、そういうことなのだと思います。

 

1stの『想いよひとつになれ』を私は超えて欲しいのです。

あの一件以来でしょうか、私たちは(もちろんキャストも)ステージ上でのミスというものに対して少なからず過敏になってしまっていると思います。トラウマに近いでしょうか。だからというわけではないですが、それを吹き飛ばような最高のライブを見せて欲しい。過去を塗り替えて欲しいわけではなく、なかったことにして欲しいわけではなく、その全てを肯定するために「最高のいま」を見せて欲しいのです。

あの過去があったから最高のいまがあると、それを証明して欲しいのです。

これは期待であり願望であり、わがままの押し付けです。こんな雑念を勝手にドームに持ち込むのはライブに臨む態度としては望ましくないな、と自分では思っていますが。これがずっと、ずっと見たかったんです。

 

9人が同じ衣装を着て、9人で歌い踊る『想いよひとつになれ』。

曜ちゃんが言った「今度は9人で!」という言葉を、この曲で現実の物にして欲しいという願い。アニメではできないことも現実のAqoursにならできる。

「ずっと千歌ちゃんに憧れてたんだ」「梨子ちゃんのことが、だーーーいすき!」って伝えられたあとの2年生組が、パラレルワールドである現実世界でトリプルセンターでつとめるのも見たい。

ドームのセンターステージでサビを歌い踊る9人が、「どこにいても同じ明日を信じてる」で放射線状に観客席を指差す光景を見たい。10人目を含めて想いがひとつになるところが見たい。

 

 

なーんてね、いつも私が想像してる通りにならないのがラブライブ!なので。

もしかすると1stのリベンジで再び同曲でピアノを披露する逢田さんの姿がそこにはあるかもしれませんし(ステージでのミスはステージでしか取り返せない、は松浦果南の言葉ですが、現実世界ではSaint Snowが福岡公演でDROP OUT!?を披露する機会を与えられています。)それもまたラブライブ!でしょう。

 

私が求めているものの本質はこの曲がどんな演出で披露されるか、ではなく、1stでトラウマのようなものを抱えてしまった私たちが、『想いよひとつになれ』に対して「つらく」なくなるような最高のステージを見せて欲しいということです。

いまが輝くからこそ過去を肯定できる。

逢田さんは、あの日のことをいまも悔やんでいるでしょうか。

もしそうだとしたら、ステージで取り返して欲しいですね。全てを。

 

 

 

 

ここまで散々好き勝手書いておいてですが、ライブに余計な考察とか期待とか持ち込んでもなーーーんにもいいことないです。予想は裏切って期待は裏切らないのがラブライブ!ですから。

ただ、4thに関しては「いまの(現実の)Aqoursにならできる」というまさに夢のようなライブが間違いなく用意されているはずなので、正直ただただ楽しませて頂く、最高に楽しませて頂く、という気持ちでいこうかなって思います(ここまで書いてスッキリしたのでこの気持ちになれています、お話聞いてくれてありがとうございます)。

 

 

 

 

開いた花の香りから受け取ったんですよね、次の夢を。

 

わたし、ドームは初めてで。

 

Aqoursちゃんが招待してくれたから、ようやく行くことができます。

今にして振り返ると、あの日に映画館で「いまが最高」って泣きながら口にした言葉は、葛藤の中で無理やり絞り出したような言葉だったように思います。

いまが最高って思わなきゃいけないって。

でもいまは違うんだなー、もう何も後悔しなくて悩まなくて遠慮しなくていいんだ。

「いまが」って言うとあの頃はそうじゃなかったの?みたいなニュアンスになっちゃうから大きな声では言わないけど、「いまも最高」って感じ。

敢えて自分がそれをドームで言うかはわからない、胸に秘めておけばいいと思う。

 

いまは、自信を持って「10!」って言える。

いまは、自信を持って「Yes!!」って言える。

 

それって本質的には同じことだと思うし、それが一番大切なことだと思うから。

ここまで来るのに散々苦しんだけど、ドームで「10!」が言えるのがいまは一番嬉しいかもしれない。楽しみ。

 

 

 

 

 

 

それじゃ、みんなドームで会おうな。

 

サンキューフレンズ!!

 

おまえら全員愛してるぜー!!!!!

『RED GEM WINK』のステージを振り返ってみる話

黒澤ルビィちゃん、お誕生日おめでとう🎉🎂

 

ルビィちゃんの誕生日に乗じて寄せて今更ではありますが、Aqours 3rd LIVE 大阪公演のあとに書いてお蔵入りになってしまった記事の一部を公開させて頂きます。

ライブの感想と振り返りのようなものです。ふりだけにね。

大阪公演の2日目を思い出しながら読んでもらえたら幸いです。

 

 

 

🍭

 

 

 

・プロローグ

 

ライブの感想の前に、大阪公演の前日に私の地元である長野で友人から聞いた話をさせて欲しい。

ラブライブを知らない、別界隈のオタクの女の子から聞いたお話。

 

🍭 

 

ある時その子がオタク友達とカラオケに行ったら、曲が入っていない時のJOYSOUNDの待機映像でAqoursちゃんが出てきたそうな。

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すると彼女の友人が突然、「あたし、ふりりんと同級生なんだよね」って話し始めたんだって。出身高校が同じで、多分クラスは違うんだけど面識はある ぐらいの関係。

「"声がすごいかわいい子がいて、声優志望らしい" って学校でも有名だったみたいなんだけど、多分放送部やってたからかな。(容姿が)可愛いは可愛いけど、学校じゃそこまで目立つタイプの子じゃなかったんだけど......今はこうして、ふりりんが黒澤ルビィ役の声優としてみんなに夢を与える存在になれてるから、すごく良かったなって。」

って、そう話してくれたんだって。

まだ何者でもない、ひとりの夢見る少女だった同級生との、画面越しでの数年ぶりの再会。長野という田舎で素朴な高校時代を過ごした同級生が、いつの間にか夢を叶えて画面の向こう側でキラキラ輝く人になっていた。そんなお話。

 

 

🍭

 

 

ライブの感想に話を戻そう。

舞台は6月17日(日)の大阪城ホール、大阪公演2日目。

ソロ楽曲群パートの2曲目に控えていたそのステージは、前曲『Beginner's Sailing』で青く染まった会場の興奮が冷めやらぬ中、間髪入れずに幕を開けようとしていた。

スタンド席の端に宝石箱が現れると会場は鮮やかなピンク色に彩られ、観客は固唾を飲んでその瞬間を見守った。

 

 

 

・RED GEM WINK

 

宝石箱に仕立て上げられたトロッコをスポットライトが照らすと、箱の中から輝きが解き放たれた。

紛れもなく、"黒澤ルビィ" がそこにいた。

一面ピンク色に染まる会場に現れたその女の子は、ちょっと時代錯誤で派手な、でもたくさんの憧れが込められたアイドル風衣装に身を包み、8000人もの観衆の中に立った。

そして絹擦れのような小気味良い音で、彼女は短く笑い声を上げた。

キュッ とか キャッ とかそんな声だったように思う。箱から飛び出すと観客席があまりに近くて、意図せずに出してしまった声をマイクが拾ってしまったようだが、その愛嬌ある声色は「いまこの瞬間、ここに間違いなく黒澤ルビィがいる」と本能的に直感させるようなものだった。不思議なことに、黒澤ルビィは実在する。

まるで夢のようにイントロが流れ始める。

浮遊感あるシンセのメロディが会場に広がり、リバーブが空間を埋めていく。耳に残るメロディラインに意識が溶けて、現実世界からフェードアウトしていく。

 

ミドルテンポの懐かしい雰囲気のサウンドに乗せて、とびっきりの笑顔を振りまいて、彼女は嬉しそうに歌っていた。キラキラと光るサイリウムの海の中をトロッコが通るたび、盛大な歓声が上がった。彼女のマイクがその声を拾ってしまうほどに大きな歓声が。

私たちはリズムに合わせて身を揺らしながら、その光景を温かく見守った。彼女を照らす眩いスポットライトに照らされて、スタンド席で彼女を迎えるファンの姿が浮かび上がる。誰もが皆、最高の笑顔だった。あのステージを目にした全ての人が、きっと同じように黒澤ルビィに夢中になった。

その光景を見て私は、「あぁ、ルビィちゃんはついに憧れだったスクールアイドルに、"本物のスクールアイドル"になれたんだな」と思うと、涙が止まらなかった。スクールアイドルを夢見た内気な少女が、あの大きな会場でたったひとりで、たくさんの人を照らす輝きになったのだと。みんなに夢を与える存在になったのだと。

 

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同時に、ライブ前日に聞いたふりりんのエピソードが黒澤ルビィの姿と重なった。そんなに目立つタイプじゃないと言われていたひとりの女の子が、声優になるという夢を叶えて、みんなに夢を与えられる人になった姿と。

 

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ふりりんはルビィちゃんと一緒に夢を叶えてきたんだな。と思ったら、もうだめで、さめざめと泣いた。

ふりりんがみんなに愛されてよかった、ルビィちゃんがみんなに愛されてよかった。

 

 

 

🍭

 

 

 

・エピローグ

 

っていうのが大阪公演2日目の翌日に書いたままお蔵入りになってた話なんですけど、この曲に関して浦ラジやインスタ等で裏話が明かされてましたよね。

 

「ソロ曲の演出はそれぞれで色々アイディア出したの?(カンペ)」

そうなんです

「自分たちが本当にやりたい事をやっていいよ、アイディア下さいって言われて」

「叶っちゃったよね、本当にやりたいことが」

 

 第何回か忘れたけどラブライブ!サンシャイン!! Aqours浦の星女学院RADIO!!!より

 

www.instagram.com

 

ルビィちゃんが宝物のように大切にしてきた、スクールアイドルへの憧れ。溢れるほどのキラキラやカワイイが詰め込まれたその気持ちを、その輝きを、宝石箱から解き放ってあげたい。ルビィちゃんの輝きを伝えてあげたい。それがふりりんがこのステージで叶えたかったことだとすれば......

恐らくですが、アニメの中のルビィちゃんが手掛けてきた衣装は「自分ではなく他の誰かに似合う衣装」「自分以外の誰かのために作る衣装」だったように思います。自分自身の趣味嗜好を反映させたデザインはあったとしても、「他の誰でもなく自分が着たい100%自分の好きな衣装」を作ってステージ上で着る機会はなかったのではないでしょうか。

だからこそ、ルビィちゃんが胸の内に秘めていた「好き」や「憧れ」の詰まった衣装で黒澤ルビィとしてステージに立ちたかった、黒澤ルビィをステージに立たせてあげたかった。のではないかな。と、私はそんな風に想像しています。

もしそうだとすれば、ルビィちゃんはふりりんに夢を叶えてもらったことになるのかな、なんて。

 

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「マルと一緒に図書室で過ごしてくれたその子は、とても優しくて、とても思い遣りがあって、でも気にしすぎな子。素晴らしい夢も、キラキラした憧れも、全部胸に閉じ込めてしまう子。その胸の扉を思い切り開いてあげたいと、ずっと思っていた。中に詰まっているいっぱいの光を、世界の隅々まで照らせるような、その輝きを、大空に放ってあげたかった。それが、マルの夢だった。 」

ラブライブ!サンシャイン!!1期4話『ふたりのキモチ』より

アニメの作中で花丸ちゃんがルビィちゃんを想っていたのと同じように、ふりりんも彼女の輝きを解き放ってあげたいと思ったかもしれません。

しかしアニメの中では姉であるダイヤちゃんや親友の花丸ちゃん、そして他のAqoursメンバーのために衣装を作ること、同じ衣装を着ることが彼女にとっての一番の願いであり喜びであったのではないかと思います。

だからこそ、アニメの文脈外に位置するこのソロ楽曲であれば、降幡 愛と黒澤ルビィのふたりで作り上げるステージであれば、ルビィちゃんが胸に閉じ込めたままの光を解き放つことができる。それは他の誰でもなく、恐らくこの世界でふりりんにしか成し得ないことでしょう。

♦️

これは余談ですが、小宮さんもソロ楽曲のステージでは黒澤ダイヤをアニメの文脈から切り離して、「ひとりの女性」として向き合ってコンセプトを作り上げていましたね(どこでその話をしてたかは忘れました)。『WHITE FIRST LOVE』は『RED GEM WINK』と対照的な楽曲になっており、ライブのセトリでも妹から姉へバトンを渡すような流れになっていることを踏まえても、ソロ楽曲の演出を考える際、両者の間で打ち合わせをした上で方向性を決めたであろうことは間違いないでしょう。ここまでキャスト側にステージ演出が委ねられたことは初めてですし、となれば、自分たちにしかできないキャラクターとの向き合い方(小宮さんは親目線だし)からコンセプトが生まれたと考えても不自然ではないかも。

 

🍭

 

ふりりんはこれまで色んな場面で「ルビィとしてステージに立ちたい」「ルビィに追いつきたい」と話していたり、「ルビィの魅力を伝え切れていないんじゃないか」と思っていたと打ち明けていたり、彼女の前方をルビィちゃんが先行しているようなイメージがずっとあったのかな と思うようなエピソードがありましたよね。

世界でいちばん黒澤ルビィを愛し、世界でいちばん直向きに対面してきたであろう彼女だからこそ、ストイックであるが故のその葛藤には終わりはないのかもしれません。

でも、だからこそファンである私は不躾を承知で言いたい。ルビィちゃんもふりりんのおかげで、自分の夢をひとつ叶えることができたんじゃないかな と。

 

 

私はふりりんがルビィちゃんだったからこそ、ふたりがこんなにもたくさんの人から愛される存在になれたのだと確信しているし、ふたりが出会えて本当に良かったなって、大阪公演の2日目のあのステージでめちゃくちゃに実感して、なんかそれがめちゃくちゃ嬉しかったんですよね。そう思えたことが。

 

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なので、これからもずっと、ふたりが手を取り合いながら輝いていていってくれたらいいな と思っています。

 

🍭

 

あ、やべぇ黒澤ルビィ誕に寄せるつもりがふりすこしてしまった......

あんまりルビィちゃんの話してなくて詐欺みたいな記事になってしまったけど、気持ち的にはすごく愛を込めたので受け取ってください♡♡♡

 

 

 

P.S. ルビィちゃん、ハッピーバースデー🍭 

『WATER BLUE NEW WORLD』のヴェールを剥がす。

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渡り鳥はその名の通り、海を渡る鳥だ。

彼女たちは春になると旅立っていく。

誰に飛び方を教わるでもなく、誰に道を教わるでもなく。

しかし彼女たちは迷わない。

なぜなら、"胸に確かなもの"を持って"輝き"を見つめている生き物だから。

 

 

 

 

 

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渡り鳥がなぜ迷わずに、海を渡る旅ができるのか。ご存知ですか。

理由はふたつあります。

 

 

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ひとつめは、彼女たちが"輝き"を追いかけているから。

北斗七星の位置から方角を知る本能を、渡り鳥は持っています。

プラネタリウムという「人の手で作られた星」の下でも、渡り鳥が星の配置で自分の位置を把握していることが確認できた という実験結果も存在するようです。

※ ⭕️が北斗七星 

 

 

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ふたつめは、彼女たちが"ハートの磁石"を握っているから。

渡り鳥は体内コンパスを持っていることで知られています。

胸に確かなものを持っているからこそ、もっと遠くの空へと。

まだ見ぬ場所を目指して旅立つことができます。

 

 

 

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そんな渡り鳥が飛び立つ瞬間を描いたラブライブ!サンシャイン!!2期12話。

雲をも突き抜けて空を目指した10話を経て、12話で立つ決勝の雲海のステージ。彼女たちの頭上に広がる壮大な星空と、Aqoursとの関係をイメージして頂けたでしょうか。

 

 

 

 

 

こんばんは、あきのです。

 

「あと2日。」

 

Aqours 3rd LIVEを前にして「やり残したこと」は何だろう と考えた時に、大好きなあの曲のあの瞬間の解釈を、自分なりの考えを形にして世に送り出しておきたいと思いました。 

ラブライブ!サンシャイン!!2期12話「光の海」劇中歌『WATER BLUE NEW WORLD』

大好きなこの曲を、決勝のライブシーンを、いつも通り自分の好き勝手に言いたい放題で語らせて頂きます。熱い気持ちを誰かと共有したり、自分の軌跡を振り返るようなエモいのを期待された方には「ごめんなさい!」

解釈は拡がっていく、繋がっていく。という寛大な気持ちでお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

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『WATER BLUE NEW WORLD』の衣装。白鳥がモチーフなのかなと思われた方は多いのではないでしょうか。

私もそのひとりで、バレリーナ風のデザインや、トゥ・シューズ風のパンプスからはバレエ『白鳥の湖』が想起されました。ライブのシーンを改めて見返して頂くとお分り頂けますが、実はダンスの振りやポージングの随所にもクラシックバレエの要素が散りばめられています。

 

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こちらは『白鳥の湖』ではなくバレエ『ジゼル』ですが、こちらの「村娘」の衣装もイメージソースになっていると思われます。

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こちらもバレエ『ジゼル』より、村娘の「ペザント」の衣装。ライブシーンでの覚醒前のまるまりこのイメージソースがこちらだと思われます。こちらは主人公と同じく村娘なのですが、王子に見初められるヒロインではない方の、普通の村娘である所がポイントです。

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村娘の衣装に身を包んでいるのはまるまりこですが、田舎に住む垢抜けない村娘という設定に国木田花丸は非常にしっくり来ます。おさげの髪型も含めて似合いすぎです、まじもんの美少女です。ほんとにかわいい。本当に可愛い。

高槻さん、ヘアメイクさん、再現よろしくお願いします。

 

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こちらが『白鳥の湖』のプリンシパルのオデット。

黒澤姉妹と千歌の衣装のソースですが、黒澤ダイヤに「白」を着せるというわかり手ぶりにスタンディングオベーションです。「重なっては消えてく」の黒澤ダイヤソロパート、小宮有紗さんのバレエ経験が遺憾無く発揮される瞬間を想像してしまいますね。

 

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しかしまぁ何と言っても、"憧れの舞台"で黒澤姉妹がお揃いの衣装を着ているのが、ほんとに、なぁ..........

 

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こちらは『白鳥の湖』の王子様

曜、善子、果南の衣装のデザインの元ネタがこちらですね。

 

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この3人がイケメン担当なのは妙に説得力があります。こういうの待ってた(小声)

え、この曜ちゃんやばない?まじ??これ着んの?髪型も??え??これ斉藤さんがやってくれるのまじ????鎖骨!?!?うせやろ????ありえん。無理だ。誰か助けて。

 

 

 

 

 

 

さて。

ライブシーンの演出や衣装デザインから、キーワードのピースは揃って来ました。しかしながら『白鳥の湖』のストーリーと照らし合わせてみても、残念ながらラブライブ!サンシャイン!!の物語とリンクする点は見つけられませんでした。

  

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そこで私は気付きます。

この衣装や印象的なポージング等は「白鳥」のイメージを表現したものではあるけれど、パフォーマンスの上でのアウトラインに過ぎない。その本質的なメッセージは別に隠されている、と。

 

 

 

そして最大の疑問であったこの部分。

 

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なぜここで桜内なのか。

なぜ寄ってたかって脱がされ内なのか。

 

 

 

その疑問を解く鍵を、私は"白鳥"をフィーチャーした別の物語の中に見つけました。

 

 

 

 

 

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『みにくいアヒルの子』という童話をご存知でしょうか。

 

かの有名なデンマークの童話作家、アンデルセンの作品のひとつです。

私がたどり着いた結論。それは

 

『WATER BLUE NEW WORLD』のライブシーンは『みにくいアヒルの子』のオマージュである。

 

ということです。

世界中で数多く翻訳され、様々な解釈のストーリーが存在するこの物語ですが、ざっくりとあらすじをご紹介させて頂きます。

 

 

とあるアヒル一つだけ見覚えのない卵が混ざっていました。 
それが卵から孵ると、周りは黄色い雛ばかりなのにその雛だけは灰色で他より大きく、また少し首が長かったのです。 
親鳥は彼を「七面鳥の子かもしれない」と考えるも、雛として育てていくことを決めて育て始めます。しかし成長していくにつれ、他の兄弟やアヒルたちは彼を「醜い」とさげすみ、親鳥の目を盗んでは彼を執拗にいじめました。 

この仕打ちに耐えられなくなった雛は、巣を抜け出してほかの鳥の群れへ迎え入れてもらおうとします。 
でもほかの鳥の群れでも同じようにつらく当たられ、追い出されるばかりでした。 
そうしているうちに冬が訪れ、雛は一人さびしく冬を越すことになるのでした。 

とうとう生きることに希望が持てなくなった雛は、白鳥の群れにまぎれて彼らに殺してもらおうと考え、白鳥のいる水辺へと向かいました。 
そして水辺にたどり着いたとき、雛は水面に映った自分の姿をみて驚きました。 
彼はひと冬を越すなかでいつの間にか大人となり、そして見事に美しい白鳥へと成長していたのです。 

こうしてみにくいアヒルの子は、自分の本当の姿を手に入れ、白鳥の群れに迎えてもらえたのでした。 

pixiv百科事典より引用

 

目をお通し頂けましたでしょうか。

あらすじだけでピンと来ない方はこちらのサイトをご参照ください。全編がかわいらしい挿絵付きで公開されていますので、イメージが掴みやすいかと思います。

 

 

 

この作品の「自分の本当の姿に目覚める」というストーリーは、奇しくもラブライブ!サンシャイン!!の物語の根幹を担う、重要なピースのひとつと共通するテーマです。

さらにこのストーリーは、アニメの桜内梨子の姿と重なり合うものになっています。

 

 

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とあるアヒルに一つだけ見覚えのない卵が混ざっていました。 

初っ端から強引に行きますが、「とあるアヒルの巣」を「浦の星女学院」と捉えてみてください。

内浦という人口の少ない小さな田舎町の高校ですから、転校生などそう滅多に来ることはないでしょう。それも都会からやってきた見慣れない制服に身を包んだ美少女となれば尚更、この物語の主人公の「とあるアヒルの巣に一つだけ見覚えのない卵」という境遇が桜内梨子に重なるように思われます。

 

 

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とうとう生きることに希望が持てなくなった雛は、白鳥の群れにまぎれて彼らに殺してもらおうと考え、白鳥のいる水辺へと向かいました。 

 この部分は童話にしてはあまりに凄惨なお話ですが、 残酷で有名なアンデルセンの童話の中ではまだマシな方です。梨子ちゃんの境遇と重ね合わせるにも悲惨すぎるかとは思いますが......メタファーのようなものだと思って頂けると幸いです。

自らを醜い鳥であると思い込んでいたアヒルにとって、純白の羽毛に身を包み大きな翼で空を駆ける白鳥は、まさに自分とは住む世界の違う憧れの存在でした。

ここで登場する「白鳥の群れ」を「Aqours」もしくは「スクールアイドル」と捉えてみてください。梨子は自分のことを地味で目立たないと称していましたし、「こんな私が、スクールアイドルになる日が来るなんて…夢にも思っていなかったけど」なんですよね。

 

そして水辺にたどり着いたとき、雛は水面に映った自分の姿をみて驚きました。 
彼はひと冬を越すなかでいつの間にか大人となり、そして見事に美しい白鳥へと成長していたのです。 

f:id:akino_oniku:20180603074623p:plain「成長って、気付かない間にするもんだよ」 は12話の果南の談。

神田明神の階段を駆け上った後での言葉ですが、自分自身の成長は過去に立ち返った時に初めて気付けるものですよね。

 

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2期12話で梨子は初めて「自分だけのために」音ノ木坂学院に戻ります。

1期12話で音ノ木坂学院に足を運んだ時の梨子も「自分がどんな気持ちになるのか、確かめてみたいの」と話していましたが、2期12話でここを訪れたのも同じことを考えたからでした。

 

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笑ってるんですよね。

「あの頃の自分」にはできなかったことができた。いつの間にか成長することができた自分の姿を確認します。

 

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彼はひと冬を越すなかでいつの間にか大人となり、そして見事に美しい白鳥へと成長していたのです。 

かくして、ひとりの少女が自分の本当の姿に目覚めていくシンデレラストーリーがクライマックスを迎えます。言うなれば、桜内梨子を主人公として据えたサンシャインストーリーの大団円とも呼ぶことができるでしょう。 


ラブライブ!決勝戦で披露された『WATER BLUE NEW WORLD』で、リーダーにしてセンターの高海千歌ではなく、敢えての桜内梨子が最大の見せ場を担った経緯が少しでも伝わりましたでしょうか。

 

 

 

🍳🐣🐥🐦🐔🐓🍳

 

 

 

・・・多分あんまり伝わってないかと思いますので、徹底的に掘り下げて検証してみます。

 

まずは12話を振り返ってみましょう。

 

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「全力を出し切れますように」

神田明神での「お祈り」のシーン。全力を出し切るために必要なのは「いま」に対する迷いを捨て「いま」に自分の全てを懸けること。

 

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「私たち、ラブライブに優勝して、浦の星の名を残して、それでいいんだよね.....?それで」

しかしこの後のシーンでは千歌の「迷い」に対して、梨子も他のメンバーと同じく何も言葉を返すことができませんでした。

 

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「行きたかった?音ノ木坂」

「そうなの?」

「......ちょっぴりね。今だから確かめたいことや、気持ちもあるんだけどね」

ここが重要なポイントですね。

ラブライブ!における「今だから」には必ず本質が隠されています。では梨子が思う「今だから確かめたいこと、今だから確かめたい気持ち」とは何だったのでしょうか。

それを知るために、さらに時系列を遡って彼女の軌跡を辿ってみます。

 

 

 

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「音ノ木坂が嫌いなわけじゃないの。ただ、期待に応えなきゃって、いつもは練習ばかりしてて。でも結局、大会ではうまくいかなくて」

梨子が1期7話で音ノ木坂に行こうと提案された時に「ごめん、私はいい」と真っ向から拒否したのは、まだ「自分らしいピアノ」と「ピアノを好きな自分」を取り戻せておらず、つまりピアノと向き合うことができていなかったからでした。

この時の彼女にとっての「音ノ木坂」とは「自分の輝きを見失った場所」であり、乗り越えられずにいる過去の象徴でした。

 

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「ピアノ、ちゃんとできたからかな。今はちょっと行ってみたい。自分がどんな気持ちになるのか、確かめてみたいの」

対して1期12話での梨子は「ねえ、音ノ木坂、行ってみない?」 と、自分から音ノ木坂を訪れることを提案しています。自分自身のためという目的も勿論あったはずですが、ここではAqoursが前に進むために決断したことの方が動機としては大きいでしょう。

そしてここでの梨子の自分がどんな気持ちになるのか、確かめてみたいの」という、自分自身への問いかけに対する答えは

「ここに来て、はっきりわかった。わたし、この学校好きだったんだなって」

 でした。つまり彼女が確かめたかった、掴みたかった答えとは「過去の自分を肯定できていること」。一度はピアノと向き合うことができずに逃げてしまった彼女でしたが、千歌に誘われてAqoursに加入したことをきっかけに、再びピアノと向き合い、自分らしい音を取り戻すまで至ることができました。

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苦しみ続けた過去はあったけれど、その過去があったからこそ今がある。全ての出会いに意味がある。

だからこその「ありがとうございました!」なんですよね。

 

 

 

「今はちょっと行ってみたい。自分がどんな気持ちになるのか、確かめてみたいの」

 1期12話「はばたきのとき」

「......ちょっぴりね。今だから確かめたいことや、気持ちもあるんだけどね」 

 2期12話「光の海」

さて、1期12話で梨子が「過去の自分を肯定」するに至った経緯はこれで掴めました。では後者の梨子の「確かめたいこと」とは一体何だったのでしょうか。

時系列を2期12話に戻します。

 

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柔らかな日差しを背に、ふわりとカーテンを揺らす風を受けながら穏やかな表情でピアノを演奏する梨子。

 

一見するとシンプルに「ピアノを好きな気持ち」こそが「今だから確かめたい気持ち」であるように思えるシーンですよね。

勿論それもあるはずです。しかし、敢えて音ノ木坂に来てまで「過去を乗り越えたことを確かめたい」と考えたのであれば、音ノ木坂に在学していた頃に演奏できなかった曲である『海に還るもの』を弾くはずなのです。

このシーンで梨子が弾いている曲は『想いよひとつになれ』です。

なぜ音ノ木坂学院に足を運んでまで弾いた曲が『海に還るもの』ではなかったのか。それを紐解いてみたいと思います。

 

 

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「わたし、ピアノで曲を作ってるの。でも、どうしても海の曲のイメージが湧かなくて......。」 

1期1話「輝きたい!」 

音ノ木坂学院在学中のコンクールで鍵盤に触れることさえできず、弾くことができなかった曲は『海に還るもの』。つまり在学中の時点で恐らく譜面は完成しており、上記の発言は作曲のイメージが沸かないのではなく、ピアノを演奏する上での表現方法のイメージが沸かない、という意味だと解釈することができます。 

 

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「うん、ちゃんと弾けたよ。探していた曲が、弾けた気がする」

 1期12話「はばたきのとき」

コンクールの結果として梨子は優勝のトロフィーを手にしていますが、もちろん彼女にとっての「ちゃんと弾けた」とは「成績を残した」という結果ではなく「探し求めていた自分らしい音」「自分らしい海の音の表現」を掴むことですね。

中学生の頃にコンクールで全国大会に出場した梨子は、音楽の名門校である国立音ノ木坂学院でも期待されるほどのホープでした。しかし周囲から結果を期待されることで、自分らしい表現、自分らしいピアノの在り方を見失ってしまったのではないかと思われます。

 

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「ここだったら思いっきり弾いても大丈夫だから」

「梨子ちゃんが自分で考えて、悩んで、一生懸命気持ち込めて作った曲でしょ。聴いてみたくて。」

 1期10話「シャイ煮はじめました」より

そのことを「分かって」いた千歌は、自分以外に誰も観客がいないステージを用意した上で、ピアノの技術的な巧拙ではなく、曲に込められた梨子の思い、等身大の梨子自身と向き合おうとします。対する梨子の答えは 

 

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「そんな、いい曲じゃないよ......」

梨子が『海に還るもの』という曲を作った時、彼女は暗い海中で光を見失って足掻いていたのだと想像されます。そんな孤独な胸中が反映されて生まれた曲がこの曲だったのでしょう。 光の届かない海底でひとり、彼女は「輝き方」を探し続けていました。

「いい曲だね。すっごくいい曲だよ、梨子ちゃんがいっぱい詰まった」

 そんな梨子の苦しみも、ピアノに懸ける想いも、ぐちゃぐちゃの感情を全部ひっくるめて千歌は「いい曲だね」と。梨子の前で肯定してみせます。『海に還るもの』は過去の梨子の写し鏡のような存在。その曲を、そして梨子の過去そのものを肯定したのは千歌でした。

 

『海に還るもの』を聴いた後の千歌が作詞し、その作詞をもとに梨子が生み出した曲が『想いよひとつになれ』ですが、この曲には『海に還るもの』と共通のメロディが使用されています。でありながら、双方の楽曲のイメージは全く異なる、というより真逆の方向性であるように思われます。

前者は「どこにいても同じ明日を信じてる」という「未来」への意思が歌われ曲ですが、後者は「海に還る」なので「生命の根源に還る」、つまり「過去」へと思いが馳せられています。(生まれ直し、死と再生という解釈はここでは取り扱いません)

この変化はどこから来たのか。

それは恐らく、千歌によって梨子の肯定がなされた事にあるのではないでしょうか。 

 

 

 

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彼女はずっと孤独だったはずです。

練習ばかりしていた音ノ木坂での日々。特別扱いされ、無責任な期待を投げられ、誰にも理解されず、苦悩を打ち明ける相手もいない。そうでなければ海辺の田舎町に転校までするには至らなかったでしょう。

しかし、彼女にとってはピアノだけが全てだった。だからこそ音ノ木坂という環境から逃げても、彼女にとってピアノは自分そのもの。どんなに逃げても、自分自身からは逃げられなかった。

 

 

そんな梨子に、なぜか手を差し伸べてくれる人が現れます

自分のことを何も知らない、ピアノのことも何も知らない女の子

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「変わるよ、きっと」

「簡単に言わないでよ」

何も知らないくせに。

 

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「ただ、期待に応えなきゃって、いつも練習ばかりしてて」

「でも結局、大会ではうまくいかなくて」

「期待されるって、どういう気持ちなんだろうね」

「ごめんね、全然関係ない話して」 

何も知らないくせに、気持ちに寄り添おうとしてくれる人。

 

 

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いい曲じゃないよ

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探していた音

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探していた音

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探していた音

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探していた音
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探していた音

私は思います。

梨子がずっと探していたのは、「自分ひとりじゃなくて、誰かと手を取り合い、みんなと一緒に輝く」ということだったのではないでしょうか。

だからこそ、2期12話で再度音ノ木坂を訪れた彼女が弾いた曲は『海に還るもの』ではなく『想いよひとつになれ』だったのだと思います。ピアノという自分だけの世界に生きてきた、孤高の存在であった彼女だからこそ同じ感情を分かち合える仲間が欲しかった。だからこそ、「君と僕との つながりを探してた」という歌詞に共感したのだと。

 

『想いよひとつになれ』は千歌たちとの出会いがなければ生まれなかった曲です。

その「出会い」という過去を経ての「いま」の気持ちを確かめるためには、梨子が音ノ木坂学院で弾く曲は『海に還るもの』ではなく『想いよひとつになれ』でなければならなかった。

 

つまり、1期12話で音ノ木坂学院を訪れた梨子が確かめたことは「ピアノの道を選んだ過去の肯定」であり、2期12話で再度訪れた梨子が確かめたかったことは「スクールアイドルの道を選んだ過去の肯定」。

 

1期12話で梨子が「ピアノの道を選んだ過去を肯定」できたのは、再び出場したピアノコンクールで『海に還るもの』を演奏することで「探していた音」を見つけ、音ノ木坂学院在学中には期待に応えられなかったことへの負い目を、コンクール優勝という結果で挽回できたから。

その経緯を踏まえると、

2期12話で梨子が「スクールアイドルの道を選んだ過去を肯定」するために必要なのは、再びラブライブ!のステージに立ち、ライブの中で「自分たちだけの輝き」を見つけ、廃校を阻止できず残せなかった浦の星女学院を、ラブライブ優勝という形でその名を残す。

ということになります。

 

つまり彼女は自身の過去の経験から、「ラブライブ!では絶対に勝たなければならない」という答えに行き着くのが必然なのです。

そう。まさにそれこそが

 

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「あたし、自分が選んだ道が間違ってなかったって、心の底から思えた。つらくてピアノから逃げた私を救ってくれた、千歌ちゃんたちとの出会いこそが、奇跡だったんだって。だから勝ちたい、ラブライブで勝ちたい。」

「この道で良かったんだって証明したい。いまを精一杯全力で、心から。スクールアイドルをやりたい!!」

 

全ての軌跡がこの瞬間に繋がります。

「出会い」から始まった軌跡を輝かせるのは「いまの自分」。

あらゆる迷いを振り切って「いま」を「精一杯全力で」輝こうとすることで、梨子にとっての「世界」が変わったのです。

それこそが「MY NEW WORLD」を意味します。

 

 

 

そしてこの記事がここに辿り着いたことの意味、それは

 

 

 

叫べ青春!!桜内♡

恥ずかしいのは一瞬だから大丈夫♡♡

 

 

つまり

 

 

#もっと大きく夢を叫ぼうか

 

ということです。全てに意味がある。

この素敵な企画を発案してくださった生春さん、そしてこの企画に参加された全ての皆様にお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました!!  

 

最後に、私がAqours 3rd LIVEに懸ける気持ちを叫んでこの記事を締めたいと思います。

  

「心から、ラブライブ!が大好きだ!!」

 

そして

 

「起きること全てを受け止めて、全てを楽しむ」

 

ただそれだけです。

 

「いま」を全力で楽しむからこそ、今日までの軌跡が輝き出す。

「いま」を全力で輝くことで、出会いの全てが奇跡となる。

Aqoursがいたから「みんな」と出会えて、

「みんな」と出会えたからこそ「いまの自分」がある。

共に輝きを追いかけて、共に輝こうとする仲間がいる。

それだけで「何もなかった」自分からは変われたような気がします。

 

羽根は受け取りました。

 

あとは輝くだけ。

 

真っ白だった羽根が自分だけの色に染まるように。

 

 

 

心から、ラブライブ!サンシャイン!!が大好きだ!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私ね、わかった気がするの

あの時、どうして梨子ちゃんがスクールアイドルをやりたいって言ったのか

スクールアイドルじゃなきゃだめなのか

梨子ちゃんにとって輝くということは自分ひとりじゃなくて、誰かと手を取り合い、みんなと一緒に輝くことなんだよね

私や千歌ちゃんや、普通の皆が集まってひとりじゃとても作れない大きな輝きを作る

その輝きが学校や聞いてる人に拡がっていく。繋がっていく…

それが、梨子ちゃんがやりたかったこと。

スクールアイドルの中に見つけた、輝きなんだ。

 

 

 

私ね。

 

 

 

 梨子ちゃんのことが

 

 

 

 

 

 

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だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいすき!!!!!!!!!!!!!

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ほらね 本当は 

一緒だったよ気持ちはね

 

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LoveLive!Sunshine!!Aqours 3rd LoveLive! Tour

〜WONDERFUL STORIES〜

開幕まで、あと2

 

イマを重ね そして ミライへ向かおう

輝きはどこにある

雑記です。

3rd LIVEの前に思考を整理するために吐き出しました。

振り返りとこれからと、について。 

 

  

  

 

 

 

・指輪

μ'sの輝き。眩い光を放つその瞬間は『MOMENT RING』という指輪へと閉じ込められたことで永遠の存在となった。指輪の台座に留められた輝石は奇跡の象徴。またリングは誓約の象徴であり、円環のモチーフは永遠のループを想起させるもの。

指にきらめくその輝きを、私たちはいつでも眺めては幸せを感じたり、感傷に浸ったりすることができる。

μ's FINAL LIVEから2年もの月日が流れた今でも、メディアミックスのラブライブ!の世界では同じ時間軸のループが続いていて、彼女たちは今でもスクールアイドルを続けている。

現実世界に存在するμ'sには時間を止めることはできない、しかしアニメの中の世界でならそれは可能だ。彼女たちを永遠に高校から卒業させずに、同じ時系列のままで時の流れを止めることもできる。

「時間は止められないと知って 君と早く会いたかったよ」

しかしラブライブ!は敢えてそれをしなかった。「時を巻き戻してみるかい?」という問いに対しても「No」と答え、自ら時を進めることを選んだ。だからこそ、μ'sは自分たちの輝きだけをリングへと閉じ込めて、自分たちは未来へと飛び立って行った......。

「μ'sの輝き」は今も私たちと共にある。しかし、今を生きることを選び続けてきた彼女たちの実体はそこにはない。さよならにさよならを告げて旅立って行った9人の女神は、今も自分たちだけの道を思うがままに進み続けているはず。いつの日か、円環の先で再び「みんな」と出会う時が来ると信じて。

 

 

 ・アクアリウム

 

テレビアニメが始まる以前にリリースされた『恋になりたいAQUARIUM』。アニメの物語との直接的な関係はない。1stシングルがAqoursというグループにとって名刺だとすれば、2ndシングルであるこの曲は自己紹介のような立ち位置に当たるだろうか。まだ何者でもなく輪郭がはっきりしていなかったAqoursというグループの、カラーやイメージを鮮烈に印象付けたこの曲。

『MOMENT RING』ではμ'sは輝きを、指輪という半永久的に存在できる無機質な物の中に閉じ込めた。対するAqoursの輝きは、アクアリウムの中に。"いま"という時間が流れ続ける、"瞬間"ではなく現在進行形の、いまを生きる輝きとして水槽に閉じ込められた。

アクアリウムは人の手によって作られる水中の楽園だ。第1回センター選挙で主役を選ぶというかたちで、「みんな」である私たちはアクアリウムに介入することを許されている。また、私たちの立ち位置はAqoursの9人が閉じ込められた水槽を外側から眺める視点でありながら、水槽の向こう側の彼女たちは「あ・そ・び・ま・しょう」と呼びかけてくる。1stシングルに続く物語への誘い。

思い返せばアニメシリーズのラストシーンは、ステージの幕が降りる形で文字通りの幕引きとなったが、奇しくも同曲の歌い出しは「空色カーテン Open!」だった。

 

 

 

・スノードーム

 

「もうひとつのスクールアイドル」としてアニメに登場したSaint Snow。北海道という北国で生まれ育ち、活動してきた彼女たちを象徴するモチーフとして存在するスノードーム。雪という有限の儚い輝きを放つ存在を、半永久的に閉じ込めておくことができるこのモチーフ。「アクアリウム」よりは「リング」に近い在り方ではあるものの、常に身につけて眺めていられる距離感のものではない。容易に手で触れることも許されず、鹿角姉妹以外の人の目に触れる機会もないこのオブジェは、Saint Snowの名に相応しく高貴で孤高な存在だ。

残念ながらこのモチーフを題材にした楽曲は存在していない。だが、秋頃にリリースされるであろう第三弾のユニットシングルのタイミングで、Saint Snowの新曲発売もワンチャンあるかもしれない。あるいは、劇場版でのAqours ✖️ Saint Snowの再共演を経てのコラボシングルのCP曲で......という期待。

 

 

 

・虹

 

Aqoursのファーストシングル『君のこころは輝いてるかい?』は言ってしまえばAqou初心表明のような意味合いが強い楽曲だったと思う。

彼女たちの初期衝動を詰め込んだようなこの楽曲が、航海の出発地点の座標として存在することには特別な意義がある。

行き先さえも決めずに出航した彼女たちが道に迷った時。振り返れば進み続けてきた道のりだけが白地図に記されていて、そこには確かな軌跡だけが存在し、この曲の存在がAqoursに現在地を教えてくれる。

風向きが悪い日や潮流に乗れない日にも、辿り着く先もわからない無謀な航海を続けることの意味。自分たちの意思で選び、進んできた道のりだからこその正しさ。

「君のこころは輝いてるかい?」という問いかけに対し、Aqoursもまた「Yes!!」と答え続けていくことで、自分たち自身の背中をも押していく。根拠によって肯定されるのではなく、根拠もなく肯定していくことこそが、真に自分たちが意思の力で前進していくことへの原動力となる。

できるのか?それが自分に?

3rd LIVEではアニメ2期の文脈というパワーまで付与された同曲が披露される。『Yes!!』と答えられるのか、この先もそう答えていけるのか。「みんな」である私たちに課せられた人生の命題にして、倒すべき宿命の敵ですらあるように感じてしまう。この問いかけに対して、もっと親しみを持って前向きに付き合っていくことはできないのだろうか。

自己肯定の究極の本質は、自身の中に肯定の要素を見出すことではなく、何も持たずまた何者でもない真っ白な自分を肯定していくことにある。つまり「君が君であろうとしてるチカラ」。ゼロ地点の点として存在する『君のこころは輝いてるかい?』から始まった軌跡の延長上にある点が『勇気はどこに?君の胸に!』。

 

 

 

・君が君であろうとしてるチカラ

 

『勇気はどこに?君の胸に!』、アニメ2期EDテーマ曲。ということは、極端なことを言えば3rd LIVEのどのタイミングでぶつけられても一応の整合性が取れてしまう楽曲であるが故に、どこで来るのか読めず恐ろしい爆弾であるということ。11話の流れで来るのか、でも幕張ファンミで既にTVサイズはやっているし、でもあの振り付けを見る限りではトロッコを想定した振りのように思えるからアンコールで来るのか。若しくは2度歌う可能性も否定はできない。

 

とにかくだ、一切の自己否定を許さず完膚なきまでに肯定を叩きつけてくるこの曲を、泣いても笑っても3rdでAqoursと共に歌う未来が確定している。

心に嘘をつかずにこの曲を全力で歌うことができなかったら、ラブライブ!サンシャイン!!のオタクとして大切なものを失うかもしれない。きっと後悔する。それでもAqoursは何度でも失敗して良い、何度でも追いかけようって背中を叩いてくる。だからたとえ、無理だできねぇって心折れてボロ泣きして、クソダセェ姿晒しながらだって必死に歌うしかないのだ。きっと歌えずにライブを終えるよりは、その方がずっと良いはず。

 

 

 

だから僕らは がんばって挑戦だよね。