あきの忘備録

あきのの外部記憶装置

あの虹を越えて飛べたんだから

 大丈夫、なくならないよ。

 

浦の星も、この校舎も、グラウンドも、図書室も、屋上も、部室も。

 

海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、空も、山も、街も。

 

──Aqoursも。

 

 

帰ろう!

 

 

全部、全部、全部ここにある!

 

ここに残っている、0には絶対ならないんだよ。

 

わたしたちの中に残って、ずっとそばにいる。

 

ずっと一緒に歩いていく。全部、私たちの一部なんだよ。

 

 

だから!────

 

 

 

 

────いつも始まりはゼロだった!

 

ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』より

 

 

 

 

 

劇場版も5thの感想も書き留めることなく2019年を終えてしまい、やり残したな という思いが胸の中でざらざらと咎める年明けでした。

とはいえ今更敢えて語らずとも、文章として形に残さずとも、全部ここにある。私の中の高海千歌「大丈夫、なくならないよ」と、いつだってそう言葉を掛けてくれました。不意に彼女の言葉を思い出すたび、甘く苦しく、切なくて幸せな、大切な気持ちの存在を胸の中に感じてきました。都度、胸に手を当てて記憶の置き場所を確かめます。イタリアの夜に、松浦果南が彼女にした仕草をなぞるかのように。

 

遠い異国の地へと飛び立ち、海を越えた先で高海千歌が受け取った言葉は「全部ここにある」。答えを手にした彼女ですが、自分で実感に辿り着かなければそれは答え足り得ません。海の向こう側にではなく、それは既に自分たちの中にあった。確信に至るまで彼女はその何かを探し求めました。

「わかった!私たちの新しいAqoursが。」

考えて辿り着く理屈よりも、自らの足で進み続けた道程の先で感じたものだけが答えになり得る。

 

 

私自身もまた同じく、「わかった」に辿り着くまで長い道のりを要しました。

あるとき日常の中でふと 足を止めると、『Everything is here』の旋律が優しく胸の扉を とん  と押してきたのです。

思い出がこぼれるように鍵盤が鳴って、頭の中で流れるメロディが記憶をなぞっていく。浦女の坂を夢中で駆け下りる9人の影が瞼に映る。何度も繰り返し観た映像が、音楽が胸の中を駆け巡りました。

 

「それは絶対、消えないものだから。」

 

全部全部全部、ここにある。

胸の中に過ぎ去った日々が蘇り、じんわりと温かい何かが私を満たしました。

 

 

 

 

 

 

 

劇場版の公開から一年もの歳月が流れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年末に久々に会った友人と、「劇場版からの5thで、物語はひとつの結実を迎えた」 という話をしました。奇しくもその感覚はふたりの間では齟齬なく共有され、またラブライブ!サンシャイン!!と自分たちとの関係性について、深く共感できたのではないかとその時私は感じました。

 

「聞こえた...?」

 

言葉で語るにはあまりに曖昧なそれに頷いてくれる人がいて、漠然としていた実感が確信へと近付くのを感じました。

ラブライブ!サンシャイン!!の物語の主体が現実のAqoursへと受け渡されていく中で、「決して消えない輝き」は私たちの中にも宿されていた。胸の中でじんわりと感じる温度を絶やさないように、私は年明けにあの地へと足を運びました。

 

 

 

「帰ろう!」

 

 

 


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いちばん彼女たちの存在を身近に感じられる地で、恐らく見納めになるであろう、劇場でのスクールアイドルの旅立ちを見届けました。スクリーンの向こう側では一年前と同じ時間が流れていて、対する自分は物語の感じ方が変化していることが時の流れを実感させます。

「理由はどうあれ、一度卒業する3人と話をした方がいいって。」

「自分たちで新しい一歩を踏み出すために、今までをきちんと振り返ることは悪いことではないと思いますよ。」

鹿角聖良の言葉を受けて、やはりもう一度劇場版と5thのことを振り返ることが自分が前に進むために必要だと感じた私は、予約もしていなかった5thのブルーレイをゲーマーズで購入して沼津を後にしました。

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「ライブの練習はどこだってできるし、これまでだってやってこれたじゃん。大丈夫、できるよ!」

もはや自分の中に新鮮な記憶は見当たりませんでしたが、今一度Aqoursの物語と向き合って思うことを書き記すことにしました。

 

 

 

 

 

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ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 5th LoveLiive! 〜Next SPARKLING!!〜 Blu-ray Memorial BOX 完全生産限定』


私の中に残っている5thライブの記憶はほとんどなく、アンコールで会場に虹が掛かったこと、22曲目の『Next SPARKLING!!』以外に鮮明なものはありませんでした。

5thライブの当時、ツイッターを離れていた私は何も知らずにアンコールでは一心に「Aqoursコール」を続けていました。息が切れ始めてきた頃、ぼーっと視界に入っていた対岸のスタンド席を眺めては「目の錯覚ってあるんだな」と酸欠を感じていました。席のブロックごとに色が分かれていくのを連番者が指差した時、ようやく異変に気付いた私は「なぜあの人たちは自分が担当する色が分かるの?」と混乱したのを覚えています。慌てて向かい側の同じ高さのスタンド席と同じ色にサイリウムを変えた頃には、ドームが虹色になっていました。美しかった...。

ラブライブ!を好きでいると、本当に思ってもみなかったような体験をすることがあります。予想だにしていなかった出来事に遭遇した時、人はそれを奇跡であると感じる。というのが私の持論ですが、実際その通りで私はあの光景を奇跡だと思ったのです。

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ブルーレイで5thを客観的に振り返ってみると、5thは紛うことなく完璧にスクールアイドルムービーを顕現させたライブでした。観客が劇場版の世界の中に没入できるよう徹底して作り込まれていて、そこに物語の一部として観客の存在が介入する余白などなかったはずだと思います。(後述しますが)ある一部分を除いて。ただ、不思議な力が働いて虹が掛かり、新生Aqoursの点呼では「10!」と私たちは叫んだ。ファンがライブに介在するという意思の有無の話ではなく、ライブの場に参加する以上はそうすることが自分たちの必然であったように思うし、私自身はそれで良かったのだと思います。

 

 

 

アンコール最後に披露された『Next SPARKLING!!』は本当に素晴らしかった。

シリーズ屈指の名シーン、新生Aqoursの始まりは本来は10人目である私たちには介在できないはずの、ステージ裏での出来事でした。あのシーンを現実のAqoursが自らなぞり、それを私たちが見届けることはある種の儀式のようなものであったと考えています。彼女たちにとっても、私たちにとっても。

極論を言ってしまえば、あのシーンで「10!」のコールを叫ぶことは劇場の応援上映でもできます。あの日はライブという特別な場所で、私たちの目の前で「物語をなぞるだけではない、本当の始まり」を現実のAqoursがやってくれたのだと思っています。あの場で生まれた6人の(あるいは9人の)本物の感情に共鳴して、私たちも声を上げた。それはAqoursのライブだから「10!」と叫ぶという様式美のようなものではなく、私たちもまたラブライブ!サンシャイン!!という物語のひとつの収束を受け入れ、その先の未来でも「10人目」として輝きを追い求めていく。その決意表明の瞬間だったのだと私は受け取っています。それは先述したように、ある種の儀式であったのだとも。

ラブライブ!においてライブ前の円陣・点呼はある種の儀式のような役割を果たしてきたと考えています。アニメにおいても現実においても。そのステージがどんな意味合いを持つものであるかを再確認し、また彼女たちがステージに何者として立つのかという覚悟を決めるための。 

 

「さあ、精一杯歌おう!」

「みんなのために!」

「思いを込めて!」

「響かせよう!」

「この歌を!」

「私たちの始まりの歌を!」

 

降幡さんが黒澤ルビィとしてステージの端で観客席側にお辞儀をして、5人が待つ円陣へと加わり、そして点呼へと。5thライブで最も現実と非現実が交錯したであろうこのシーンは、Aqoursキャストの発案で演出としてライブまでのスケジュールのギリギリで加えられたものであったと、後に浦ラジで明かされています。

ライブでのシンクロという要素を重視してきたラブライブ!サンシャイン!!のプロジェクトチームであれば、最初からライブ構成にこの演出が盛り込まれて然るべきであろう という憶測は容易です。でありながら、そうではなかった。

あくまで憶測に過ぎませんが、私はこれが現実のAqoursにとって重要な儀式だったからだと考えています。なぜならば、全部自分たちで考えて作り上げたステージでなければ、『Next SPARKLING!!』のライブは本当の意味で体現されないからです。そして、プロジェクトチームによって用意された演出でステージ裏のシーンを再現したとしても、限りなくアニメとシンクロした再現にしかならないでしょう。現実のAqoursが自分たちの意思で「やりたい!」と願った上で、あのセリフをステージ上で本物の感情を込めて言葉にする。それは現実のAqoursにとって、彼女たちが「アニメのAqoursに代わって物語の主体となる新生Aqours」になるのに必要な儀式だったのだと思います。

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ステージ演出として観客に円陣の一連のシーンを見せておきながらマイクはオフになっており、曲が始まる前のセリフは劇場版と同じ、アフレコで収録された音声が流れていました。キャストがスクリーンの映像に合わせてセリフのタイミングを合わせるのは、技術的には難しいであろうことは想像できるため、敢えてやらなかったのか、やりたくてもできなかったかは分かりませんが。結果として、ステージで発せられた6人の声は円陣の中にだけ響きました。

 

 

 

『Next SPARKLING!!』のステージが体現を重視したものである、という話をしてきましたが、もちろん実際に3年生組のキャストがAqoursの活動を離れるわけではありません。この部分がアニメとは決定的に異なるため、現実のAqoursが物語の主体として9人で存続すると矛盾が生まれてしまいます。このジレンマを解消するためには世界線の分岐が必要不可欠であり、尚且つAqours「新しいみんなで叶える物語」としてこの先もストーリーを紡いていくためには、「みんな」と一緒にその世界線を越えなければなりません。スクールアイドルとしてのレーゾンデートルを守るには、「みんなと一緒に」であることが絶対不可欠なのです。

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「1からその先へ!みんなと共に、その先の未来へ!!」

Aqours────!!Sunshine!!!!」

 

つまり、その世界線を越えることこそが「Over The Rainbowであり、その瞬間に私たち「10人目」が居合わせ見届ける。その儀式が行われたのが『Next SPARKLING!!』であったと解釈しています。

『Next SPARKLING!!』のステージは、アニメと現実の世界線が限りなくシンクロしたものでした。異なる世界線がステージという一点で交錯し、そこで現実のAqoursに生まれた嘘偽りない本物の感情、つまりアニメのAqoursと同じ感情を体現することで、アニメの物語から現実の物語へとシームレスに物語の主体が渡ったのです。

 

 

 

 

劇場版のラストシーンをなぞるように、同曲のアウトロでAqoursはステージを後にしました。観客側に背を向けた彼女たちは、一歩一歩を踏みしめるように虹色の階段をのぼって行きます。「Over The Rainbow」の光景を、その後ろ姿を私たちはそっと見守りました。

虹を越えた9人が両手を繋ぐ瞬間、小林さんの右手は私たちの方へ差し出されます。深々とお辞儀をすると笑顔で両手を振るAqours。リフターが降りてだんだんと彼女たちの姿が見えなくなる光景を、私たちは誇らしさと寂しさが入り混じった気持ちで見届けました。

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あの瞬間の私たちの感情はまさに、劇場版ラブライブ!サンシャイン!!そのものでした。劇中の『Next SPARKLING!!』の旅立ちのシーン、新生Aqoursのステージを見届けると名残惜しそうに、愛おしさを抱きしめるように無言で旅立っていった3年生組。ステージ上のAqoursを見送る私たちは、紛れもなく劇中の彼女たちと同じ気持ちを体験したのだと思います。

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いつまでもここにいたい

みんなの想いはきっとひとつだよ 

 

 

 

そしてライブのラストは彼女たちの姿が見えなくなった後で締められました。伊波さんの渾身のAqours────!!」の掛け声に続いて、会場の全員を含めた「Sunshine!!!!」のコールで大団円を迎えた5thライブ。

ダブルアンコールが起こることもなく、観客席に照明が灯るまで温かい拍手に包まれた会場。告知が一切ないままライブが幕を閉じたことの寂しさを誰もが抱えつつ、それでも素晴らしいライブだったとAqoursを賞賛するムードがそこにはあり、それはまるで劇場版を観終えた後のような心境でした。

と言うよりも5thライブにおいて、Aqoursだけでなく私たちもまたラブライブ!サンシャイン!!の一部だったのだとすら思います。アニメの世界への没入から始まり、最後にはアニメの世界から現実の世界へとシームレスに移行したライブで、私たちはAqoursと共に声を上げました。

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物語の主体が現実のAqoursへと引き渡されても、ラブライブ!サンシャイン!!は続いていく。私たちもまた、私たちのラブライブ!サンシャイン!!を続けていく。

ブルーレイのメイキング映像では、5thライブ初日の終幕直後の舞台裏で「大成功だよ!」と、嬉しそうに顔をほころばせる伊波さんの姿が映されていました。劇中の高海千歌も、新生Aqoursのステージを終えた時にはあんな表情をしていたのだろうなぁ と思っています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い鳥があの虹を越えて飛べたんだから、

私たちにだってきっとできるよ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虹を越えた先には未体験の地平線があって、

その先にはきっと誰も見たことがない、夢のような世界が待ってる。

Aqoursの物語はこの先もずっと私たちと共にあるし、

虹ヶ咲の物語はまだまだ始まったばかりだし、

μ'sの決意も、あの日の想いも、涙も、全部無かったことにはならない。

全部、全部、全部、ここにある。

 

過去とは違うかたちのAqoursやμ'sがあっても、それでいい。

 

だって、

 

「今が最高!」でしょ?

 

 

 

ラブライブ!フェス、みんなで最高に楽しもうな!

 

みんなには私がいる!だから安心して!なんて推しが言うから泣きそうになったよな

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平日の夜だというのに、道玄坂の繁華街はごった返している。強気な身なりの若者が騒がしく行き交う、渋谷は実に居心地が悪い。

この街にはお呼びでないであろう私だが、今日だけは特別な用事がある。この街の歩き方もわからない私が、この先の道のりを躊躇わずに歩み続けていくための。

 

 

 

────くつひもの、結び方を知りたい。

 

 

 

 

 

斉藤朱夏1st ワンマンライブ「朱演 2019『くつひもの結び方』」

 

 ーセットリストー 

 

1. あと1メートル

2. くつひも(MC)

3. 誰よりも弱い人でかまわない

4. 糸(Cover)

5. コトバの魔法

6. リフレクライト

7. 明日はきっといい日になる(Cover)

8. しゅしゅしゅ(MC)

9. ヒーローになりたかった

〜EN〜

10.パパパ

11.くつひも

 

 

 

 

 

なにしろ居づらいのだ。

誰もが皆この街の住人であるかのように振る舞う往来は、肩身が狭い。午後6時のライブハウス「TSUTAYA O-EAST」の周辺は、同じTシャツを着て同じマフラータオルを首から下げた人たちが、路肩に身を寄せるようにひしめき合っていた。自分の整理番号が呼ばれるまで、先に入場していく人たちの安堵の表情をうらめしく眺める。

 

私の整理番号は収容人数の中ではかなり後半の台だったものの、入場してしまえばすんなり会場の中ほどに潜り込めた。「TSUTAYA O-EAST」のフロアには段差があり、1段上の後方フロアの方が視点が高くてステージが見やすいからだろうか。箱の中に所狭しと詰め込まれたファンの熱気は、開演が近づくにつれ上昇していく。

 

ライブが始まる前の緊張感が私は好きだ。ライブが始まってしまえば時計の針はぐいぐい回るものだが、それを待つ間はじりじりと時が流れる。ご馳走を目の前にしてお預けを食らっているようなこの時間は、期待で胸がざわつく。

開幕のスポットライトに照らされてステージに現れる推しの姿を想像してみる。あの子、満員の会場にぎっしりと詰め込まれたファンを見てどんな表情をするだろう。最初の曲は何かな、続くセトリは、ステージ演出は。MCはどうだろう。なにしろデビューミニアルバムを引っ提げてのファーストライブなのだ、何もかもが未知数。

彼女────斉藤朱夏」というアーティストを、私は尊敬や憧れの感情と共に、まるで自分の姪っ子のように愛おしく見守ってきた。お門違いな感情であることは自覚しつつも、そう。少しの不安に近いような、お節介な緊張感を抱いて開演を待つ。

ド真面目で責任感が強い彼女のことだから、きっとファンのことを想っての緊張と共に、同じ時を過ごしているに違いない。『8401』のリリースイベントでの彼女の、「すごく緊張して出てきたんですけど、会場の雰囲気も緊張した空気感あって」という言葉を思い出しながら、じりじりと時間が流れていった。

 

開演直前、諸注意のアナウンスの後に上がる歓声。しゅかコールが起こる。

彼女のファンはいつも元気だ、どのイベントに行ってもそうだがとにかく声が大きい。はやる気持ちを抑えてそれを見守る......FCイベントでゲストのおぎゆかちゃんが「朱夏のファンは元気だねー!」と感想を述べていたことを、私はなぜかうわの空で思い出していた。

 

 

 

そしてついに幕が開く。

眩い照明の中、ステージの中央でこちらに背を向けて立つ推しの姿。曲のイントロに被さる歓声が彼女の名を呼ぶ、私も声を上げていたのだろうか?

こちら側に振り返り、歌い始めた彼女の表情はどんなだったろうか。とにかく曲が始まったのだ、すごい勢いで一瞬一瞬が過去になる。生バンドの爆音が空間を突き抜けていく、意識が置いて行かれないように、ステージ上で赤い衣装に身を包んだ彼女に視線を釘付ける────。 

"朱演・斉藤朱夏" のファーストライブの幕開けだった。

 

 

 

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結論から先に言うと私は、 "くつひもの結び方" を知ることはできなかった。

 

彼女は "靴ひもの結び方" を今日まで考えてみたけれど、「みんなそれぞれが個性を持っていて、それぞれのくつひもの結び方がある」「だからそれでいい」というようなことをMCで話してくれた。

なるほど、「幸せの青い鳥は最初からここにいた」ということだろうか。彼女はこのミニアルバムを通して、自分とファンとの繋がりというものをずっと考えてきたのだと思う。 その気持ちをライブの中で表現し、届け、私たちがオーディエンスとしてリアクションを返す。そのライブという気持ちのやり取りの中で、彼女は自分が求めていたファンとの "繋がり" というものを確かめていたのだと、そう感じた。

 

心がほどけてしまいそうな日常の中で、私はそれを強く結んでくれる何かをずっと求めていた。もしかすると彼女ならば、斉藤朱夏ならばそれを教えてくれるのではないか、と胸の奥底で願っていたのだ。でも、それは間違いだった。

彼女が言っていたように、私たちは出会った時点で繋がっていたのだから。

 

 

 

縦の糸はあなた 横の糸は私

織りなす布は いつか誰かを

暖めうるかもしれない

中島みゆき『糸』より

 

「今日はいろんな糸で結ばれた皆さんに、私の大好きな曲を届けたいなと思います」との曲紹介のあとで、ピアノの旋律に乗せてしっとりと歌い始めたのは中島みゆきの『糸』のカヴァー。

彼女にとって初めてとなるカヴァー曲の披露で、自分以外の人の曲を斉藤朱夏が歌うことに意味のあるもの。ワンマンライブの中でカヴァーすることで斉藤朱夏の曲になるもの、という意味で、くつひもの文脈を汲んでの『糸』の選曲はいかにも生真面目な彼女らしく、そしてこのライブに相応しいものとなった。

アンコールで歌われた二度目の『くつひも』の曲前には「ここにいる君と運命の赤いを結びましょう!」というストレートなメッセージがあったり、しゅか通信にも「みんなと同じ気持ちってことにすごく嬉しくて 少しだけ緊張のがほぐれた瞬間でした」との言葉があったり。

"言葉を大切にしたものにしたい" "言葉で表現できるような作品を作りたい" という想いがミニアルバム製作の原点にあった彼女らしく、さりげない言葉選びの中にも込められた想いの強さが垣間見えるライブだった。

 

 

 

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さて、ここまで正座で書いてたのですが。この感じで長文書かれると読んでる人も疲れちゃうと思うので、私もライブのお話は、緊張の糸をほどいて書いてみることにします。 

 

 

 

「みんなに絡みにいきたくて」とライブ後のしゅか通信でも語っていたように、オールスタンディング形式でのライブ、彼女にとっても待望だったんじゃないでしょうか。私もオルスタ大好きなので、音楽に合わせて体を揺らせるのがとても楽しかったです。やっぱライブはこうでなくっちゃね。

なんですけど、あんまり視界は良くなかったのでよく見えなかったんですよね。なので残念ながら詳細なレポートは書けないんですけど・・・

 

オープニングから音がめちゃめちゃ良くて驚きました。ここ数年はドームやホールでのコンサートばかり行っていたので、あのサイズの箱はやっぱり距離感も含めて最高ですね。今まででいちばん推しが近かったです、これまで会場のスクリーンで見ていたのと同じぐらいの大きさで推しが目の前にいるわけですから。「おお、画面じゃなくて推しが3Dや・・・」とわけのわからない気持ちでした。

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で、今回なんと生バンドだったんですよね!ハヤシケイさんの手がけられてる楽曲、ライブ映えしそうだしバンド編成でやってくれねえかな〜とは思ってましたけど、まさかファーストライブからやってくれるとは。嬉しくて仕方なかったですね。なんかバンドメンバー全員女の子で、ガールズバンドみたいな編成でしたけど。フロントマンめっちゃ踊るけど。

バンドメンバーとも息が合っていて、チームワークにも信頼関係を感じてその空気感も◎。演奏めちゃうまくて、それはプロなら当然かもしれないですけど、とにかく音が本当に良かったです。ギターもところどころアレンジが入ってたり、個人的にはドラムがすごく気持ち良くて好みでした。

 

しゅかちゃんはもともとジャズヒップホップのダンスを得意としていただけあって、リズム感のセンスがズバ抜けてるなっていうのを今回改めて実感しました。生音に対するボーカルの乗せ方というか、アタックで強く来て欲しい所に気持ち良く音をぶつけてくれる感じ。リズム隊とも息が合ってて、それがまたしゅかちゃんの体を使ったパフォーマンスとの連動が凄い。

彼女は歌うように踊りますよね。もともと決まってる振り付けはあるはずなんですけど、それ以上に「こういう音を表現をしたい」っていうパッションが前面にじみ出ていて、その音楽性は本質的にジャズなのかもしれない。ライブを通した一連の流れの中で、感情が突発的にパフォーマンスとして音楽に昇華されているような印象を受けます。そのエネルギーの発露が天才的で、表情なんか見ててもめちゃめちゃ心動かされませんか。圧倒されるんですよね、あぁ、この人はやっぱ天性の表現者なんだって感じます。

 

しゅか通信でも「(私は)ステージに立ち続ける人間なんだと確信した」とその瞬間のことが綴られていましたね。国内最大級のキャパの数万人規模のライブを経験してきた人が、初めてソロで立つライブハウスのステージでその確信に至った。ファンとしては何よりも嬉しくて誇らしくなるお話です。

彼女がソロアーティストとしての目標として、目指している会場があると公言しています。それがどこなのかは明かされていませんが、今回のライブを通して目標のステージに立つ自分の姿をイメージできたのかもしれません。

声優としてステージに立つ場合、原則的にアニメのキャラクターのライブやイメージが先にあり、つまりそこに基準としての比較対象が存在するわけですが、ソロアーティストとして立つ未来のステージは、常に過去の自分との相対評価になります。ソロアーティストとしては走り出したばかりの彼女ですが、目標を見据えてそこに立つ自分を確信できたのならば、きっとどこまでも成長していくのでしょう。

 

 今回はアーティスト・斉藤朱夏にとってのファーストライブだったわけですが、その堂々たるパフォーマンスは圧巻のクオリティで、MC、立ち振る舞い、メンバーやファンへの気遣いも含めて、とてもファーストライブのそれではありませんでした。

横浜アリーナで彼女を初めて目にした時、この人は既に完成しているのではないかと思ったものです。しかし彼女は成長を続けている、一体どこまで伸び代があるのでしょうか。きっとこれからも、斉藤朱夏は私たちの想像を鮮やかに裏切ってくれるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

もう少しだけ書きます。

 

「私はみんなに絶大なる信頼を置いていて、だから今こうしてステージに立ててるんだなと思います。これを機に、いろんな弱い部分もみんなにもっと見せていこうと思いました。弱い部分の私も受け入れてくれるかな?」 

今回のライブでの彼女の言葉ですが、私はけっこう衝撃を受けました。「信頼」なんて気持ちをファンに対して思ってくれてるなんて、言葉になりません。

以前の彼女は「誰が私のファンなのかわからない」と言っていたこともあり、大人気キャラクターの中の人を担うが故の苦悩があることを、ファンはなんとなく察していたのではないかと思います。

責任感が強く、他人には絶対に迷惑をかけたくない性格の彼女は、自分が心を許した身内に対してだけは甘え上手であるようです。そんな彼女がファンを信じて頼り、弱さを見せるとまで言っている。あかん、もっと好きになってしまう。そういうところやぞ。

 

また、自分のことが好きじゃないと常々インタビューでも話していました。かわいさを求められることに対しての抵抗は強かったようですし、今でもそれが全くないようには見えません。 しゅかランドが開演した当初も、ツイッターで自撮りを上げると拡散されるのが恥ずかしいから、とも吐露していました。

そんな彼女がライブでは「かわいいよー!(野太い声)」に対して「かわいいって知ってる」と返していた(二度も)のは、感慨深いものがありました。これ、自分がかわいいって自負してるのとは多分違うんですよね。おそらく "みんなが私のことをかわいいって思ってることを知ってるよ" という意味だと思うんですね。 "ちゃんと届いてるから安心して、大丈夫だよ" って意味だと思うんですよ。

彼女は自分のファンがどれぐらいいるのかわからない、という疑心暗鬼と自己否定を乗り越えて、ソロでの様々な活動を通して「ファンから愛される自分」を受け入れ、肯定するに至ったのだと思います。

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彼女はソロでの活動以外でも、会場に来られないファンのことを気にかけたり、ライブビューイングに向かって声をかけたりと、ライブで目の前にいないファンにまで気を配る配慮をしてくれる人でしたが、そこには作品を背負って立っているという責任があると同時に、向こう側には "作品のファン" がいるという前提は少なからずあったはずです。

今回のライブでは、台風の影響により開催が延期になり日程変更で来れなくなってしまったファンのことや、チケット抽選に漏れてしまったファンのことを気にかける言葉が何度もありました。

ソロ活動における彼女のファンとの関係は、「ファンが作品を通して私を想ってくれている」から「ファンが私を想ってくれている」にシフトしたことで、彼女がファンの目線で考える時のロジックは「みんなが私を好きである」という前提に基づくものになります。つまり、彼女にとっての "信頼" とは、「ファンが絶対的に私を好きでいてくれることを信じる」という意味での "信頼" なのだということ。

いや、そんなの長文を書き連ねるまでもなく当たり前のことなんですけど。これまで彼女の活動をずっと見つめてきた経緯を踏まえると、色んな思いを乗り越えてまた器が大きな人になりましたね、と思うわけです.......。

 

MCの中で「私はプライドが高くて」と打ち明けてくれたのが、私はわりとほんとに嬉しかったです。自分でプライドが高いなんて言ったの初めてなんじゃないでしょうか。当ライブのナタリーのレポートでは、この発言は書かれていませんでしたけれども。

「『くつひも』には私の弱さや不器用さが込められていて」というMCは、バースデーライブ『8401』の時にも全く同じことを話していましたよね。自分が他人に見せたくない内面をさらけ出すことって、すごく勇気が要るし簡単にできることじゃないと思うんですよ。

これを読まれてる皆さんはだいたい大人だと思うので、お分り頂けるんじゃないかと思うんですけど。大人になると、歳を重ねるごとに無駄なプライドだけ高くなって、内面を見せたり弱さを認めたり、できなくなっていくんですよね。

だからこそ、それを乗り越えて本当の意味での勇気と強さを見せてくれた彼女が、めちゃめちゃかっこよくて。やっぱり憧れと尊敬の思いは深まるばかりなんです。私にとって斉藤朱夏本物のヒーローで、それはもうずっと前からそうですし、もちろん今ではもっとそうです。

 

斉藤朱夏ちゃん、かっこいいのにかわいくて、ちっちゃいのにきれいで、明るくて楽しくて、おばかで面白くて、やっぱり好きですね。

ライブが楽しかったって話しを書くつもりだったんですけど、なんか違う話になっちゃいましたね。ライブは最高でほんとに楽しくて、音楽がよくて、お衣装も素敵で、お歌がまた抜群にうまくて。なんと言っても元気が出て幸せになります。

ありがとうしゅかちゃん、またライブ行きたいです。

 

 

 

 

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帰宅してから靴と靴下の合わせが推しとおそろだったことに気付いた図。

明日はきっといい日になるって推しが言ってた。

くつひも、結んでいこう。

水平線のその先へ、想いをトキメキを

「浅葱色」という色を、ご存知でしょうか。

 

「あさぎいろ」と読みます。

「浅葱色」蓼藍で染めた明るい青緑色のことを指し、「浅葱」は薄いネギの葉の色に由来しています。「浅葱色のダンダラ羽織り」と聞けば新撰組を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。古くは平安時代から存在する伝統色で、日本人の暮らしの中にずっと根付いてきた歴史を感じられる色なのです。

 

そんな「浅葱色」ですが、同音異句で別の色を指す言葉に「浅黄色」というのが存在します。「あさぎいろ」ないし「あさきいろ」と呼ばれ、昔から両者は混同されてきたという歴史を持つようです。

「浅黄色」とはその名の通り薄い黄色を指す言葉ですが、同じ読み方でふた通りの色が想起されるのは、いかにも日本語らしくて面白いなと思います。

 

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「あさぎいろ」、あなたの色は何色なのでしょうか。

そんな少しの戸惑いを愛おしく感じながら、今回の記事を始めたいと思います。当記事は『未体験HORIZON』の重大なネタバレを含みますので、ご準備がお済みでない方はそのつもりでお読みくださいませ。

尚、虫が苦手な方、集合体が苦手な方もスマホぶん投げる前にブラウザバックをお勧めいたします。

 

 

 

 

 

 

・海を渡る蝶

「アサギマダラ」という、海を渡る蝶がいます。

 

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浅葱色をその名に冠したこの蝶は日本中に生息しており、思わず息を呑むような美しい半透明の、浅葱色の翅(はね)が特徴です。成虫になると南へと旅をする生態を持つ彼らは、季節の訪れを告げる蝶として古くから日本人に親しまれてきました。

体長わずか5〜6cmの彼らですが、その小柄な体躯からは信じられないくらい遠くへ旅をします。その距離なんと2000km。日本本土から南西諸島、台湾、及び中国にまで渡った事例が観測されています。 

 

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「アサギマダラ」がなぜ海を渡るのか、この小さなからだのどこにそんなエネルギーがあるのか。その詳しい生態系は謎に包まれており、未だに解明されていない部分が多く残されているそうです。ワクワクしますね、これが未解明HORIZONです。

温暖な気候を好む彼らは秋になると南方へと大移動をしますが、秋になり『未体験HORIZON』が発売されるとオタクもアニメショップへと大移動した、という生態が観測されています。虫なのかな?

「アサギマダラ」は気候の変化を読んで長距離飛翔をしており、台風などの風を利用しているのではないかと推測されています。つまり

 

信じられないくらい 遠くへ飛べそうだから

空だけ見てスタート! 

風に乗っちゃえ 一気に乗っちゃえ

 ということですね。

 

「アサギマダラ」の群れはその長い旅を、世代交代を繰り返しながら飛び続けます。短い寿命の中でなぜ、彼らが身の丈に合わないような過酷な旅を続けるのか。それはもう本能だからとしか言いようがないでしょう。彼らにとってきっと、生きることは旅することであり、生きることは前に進み続けることなのです。

彼らがそうであるのと同じように、人生もまた旅なのでしょう。

 

人生ってさ。 

 

 

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『未体験HORIZON』MVより

MV曲中のDメロにあたる部分のカットですが、光り輝く蝶の群れが海を渡ります。
このシーンの掘り下げについては後述しますので、ひとまずはここまで。

 

 

 

 

 

・モルフォ蝶

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『未体験HORIZON』MVより

『未体験HORIZON』のMV冒頭、芹沢光治良記念館の中に佇む国木田花丸の姿からこの物語は始まります。彼女の背後には美しい青い翅の蝶の標本が。意味深げなカメラワークで映し出されていますが、皆さまご存知の通りこの標本、芹沢光治良記念館には実在していません。実在しないものが意図的に持ち込まれたということはつまり、このモチーフには意味が隠されています。

 

MVに登場する青い蝶ですが、こちらは「モルフォ蝶」という種類の蝶です。

モルフォウチョウ科には見た目が全く同じような蝶が何種類もいるため、完全な特定には至りませんでしたがいずれも南米に生息する種類の蝶です。 MVに出てくる標本が実際に展示されている、多摩動物公園に行けば詳細がわかるかもしれません。(行ってないのでわかりません)

これらの種はモルフォウチョウ科の中ではもっともポピュラーな蝶のようで、その美しい翅から収集家の間では人気が高く、標本はけっこうな高値で取引されているとか。

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さて。ではなぜ国木田花丸とは縁もゆかりもなさそうな、南米原産の蝶の標本がMVに登場するのでしょうか。そこに迫ってみましょう。

 

モルフォウチョウ科の標本が一部の界隈で人気であると先述しましたが、一般的に甲虫以外の虫の標本は劣化しやすいものなのです。特に蝶の標本は光線を浴び続けると色が褪せ、その美しさが損なわれてしまいます。でありながら、モルフォウチョウの標本はなんと市場価格¥10,000〜という高値で取引されています。蝶の標本は長くは美しさを保てないはずなのに、なぜそんな高値で売れるのでしょう。

その理由は、この蝶の翅の鱗粉に秘密が隠されていました。

  

実は、モルフォ蝶の翅の鱗粉にはもともと青い色素が存在しません。でありながら翅が青い金属光沢を放っているのは、鱗粉の特殊構造が光の屈折に干渉し、青色の波長の光のみが反射される「構造色」によるものだというのです。つまり、本来は翅は青くないはずなのに青く見える。

 

「構造色」でわかりやすい例を挙げると、歴史の教科書にも出てくる法隆寺の宝物「玉虫厨子」がそれにあたります。玉虫の羽根を装飾として用いたあれです。虹色の輝きが美しい玉虫の羽根は、長い年月を経てもその色彩が失われることはなかったといいます。

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そんな秘密を隠し持っていたモルフォ蝶の鱗粉ですが、その構造はとても特殊で干渉色でありながら視覚的依存性がない(どこから見ても青く見える)という、世界でも唯一無二の発色機構であるようです。

 

 

 

つまり、この蝶の翅が持つのは「唯一無二の青い輝き」であり、 

その美しさは決して消えることなく、「半永久的に輝き続ける」のです。

 

 

 

説明が長くなってしまいましたが、そういうことです。

以上のことから、あの青い蝶の標本は花丸ちゃんの世界の中でずっと消えない輝き、Aqoursという宝物のような経験を象徴する記憶のモチーフとして登場したのではないか 。という解釈に辿り着きました。

 

花丸ちゃんの回想シーンでAqoursがライブのフォーメーションを悩んでいる場面がありますが、ホワイトボードに描かれていたのは『WATER BLUE NEW WORLD』のフォーメーション。ルビィちゃんが衣装デザインに提案をするシーンの楽曲は『夢で夜空を照らしたい』ですね。ルビィちゃんが屋上にいるシーンが『Brightest Melody』と直接関係しているのかは定かではありませんが、1年生組が加入して最初の楽曲と、ラブライブ!での最後の楽曲が登場するのには、花丸ちゃんにとってのAqoursの軌跡の全てが込められているようでいいですね。

永遠に消えることなく輝き続ける青色の記憶は、『WATER BLUE NEW WORLD』だけでなく、それまでのAqoursの軌跡のすべてを包有した "青" であるようです。

そう考えるとMVの曲が終わった後のカットで彼女が、ノートをその場に残したまま蝶の標本の前から立ち去るシーンに、より強く「始まり」を感じられるような気がします。 

 

 

 

 

  

・蝶の行方は 

Aqoursが海を越えてたどり着いたこの場所、有識者の友人によれば「ウユニ湖」っぽいですね との談。なるほど、線が繋がります。 

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ウユニ湖は南米ボリビアに位置する、広さ10,000kmもの巨大な塩原です。MV冒頭に登場した蝶が南米に生息する種であることに縁を感じます。

蝶といえば花の蜜を吸って生きているイメージが強いですが、蝶には実はナトリウムを摂取する生態もあります。つまり、Aqoursはしょっぱいものが食べたかったんでしょうね。だからウユニ塩湖まで来た。完璧な推理です。

 

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TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期2話より

「ほ・ほ・ほ〜たる来い あっちの水はに〜がいぞ こっちの水はあ〜まいぞ〜」という童謡があるように、日本では古来より味のついた水は虫を呼ぶものであるとされているのです。スクールアイドルもだいたいそんな感じです。

 

花丸ちゃんがスクールアイドルを始めたきっかけは、ルビィちゃんが光り輝く世界へと連れ出してくれたことでしたね。ルビィちゃんの熱い想いに突き動かされて一歩を踏み出した、あの日の大切な気持ち。 それが彼女の胸の中できらめき続けている、スクールアイドルとしての最初の輝きだと私は思うのです。つまり『未体験HORIZON』の歌詞でうたわれている「熱さ」は、新しく始まることへのときめき。

だからこそ。

過去から未来へと連綿と続いていく輝きを表現したこのMVで、国木田花丸がセンターに立って率いるAqoursが、「ウユニ湖」へと時空を越えて飛び立つことには必然性があるのです。

 

 

 

「うゆ」だけにね。



 

この曲で善子ちゃんは歌っています、「たぶん呼ばれてるから」と。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのと同じように、こころが輝きを求める時、輝きもまた私たちを呼んでいるのです。「うゆ」であるところのルビィちゃんに呼ばれてここ(現在)までたどり着いた花丸ちゃんですが、「ウユニ湖」もまた花丸ちゃんたちを呼んでいたのです。

なんかいい話っぽくまとまりました。

 

 

 

 

 

・蝶の夢

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 『未体験HORIZON』のジャケットが公開された時点での、私が立てた楽曲コンセプトの仮説がこちらです。沼津市内にも大型の温室の施設がありますから、ジャケットの公開当時はそちらが今作品の舞台なのではなかいかと話題になっていましたね。

ところがですよ。蓋を開けてみれば皆さまご存知の通り、実際にMVの舞台として選ばれたのは「多摩動物公園」です。沼津要素どこにも無し。これには必ず理由があるはずなので、先ほどの仮説を軸に "この曲のセンターが国木田花丸である" という点から考察を試みてみます。

 

 

 

「本の虫」という慣用句があります。

本が大好きで四六時中本を読み漁っている人を指す言葉ですね。そんな「本の虫」であるところの国木田花丸が、いかにして自分の殻を破って美しい蝶に "変身" するに至ったのか。という物語が描かれているのが、このMVのあらすじです。

 

 「それでもおらには無理ずら。体力ないし、向いてないよ...」

「そこに写ってる凛ちゃんもね、自分はスクールアイドルに向いてないってずっと思ってたんだよ」

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TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期2話より

「へーんしーん!!」(この解説要る?)

余談ですがこれ、Aqoursキャストの顔合わせで「ただのオタクです」と自己紹介していた高槻かなこさんが、最初は体力がなくてダンスに苦手意識すらあったと話していたエピソードとも重なりますね。成長したね!

 

 

 

さて、『未体験HORIZON』で蝶がモチーフとして登場したことの説明はつきました。しかしながら多摩動物公園以外にも、蝶が放し飼いにされている温室施設は国内に多数存在します。舞台がここであることに必然性がありません。

もう少し焦点を近付けて、多摩動物公園の「昆虫生態館」に迫ってみます。

 

 

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画像をしっかりご覧いただけたでしょうか。 

なんと、MVの舞台の温室がある「昆虫生態館」それ自体が蝶をモチーフにした施設だったのです。これってつまり「超巨大リトルデーモン」みたいなことなのでは?(謎ヨハネ理論) 

私の当初の解釈を整理すると、「温室」は "閉じられた世界の中の蝶を守る存在" であり、つまり「学校」のメタファーである。また、「温室の中でしか生きられない熱帯の蝶」は "高校生活という限られた時間の中でのみ輝くスクールアイドル"  のメタファーとして登場している、と仮定していました。

これはAqours」にとっての「温室」が「浦の星女学院」であるという解釈においては話の筋が通りますが、MVの舞台である温室が実は巨大な蝶の一部であることが判明した以上、どうやらこれが「多摩動物公園」がMVの舞台として選ばれた理由であるように思えます。この場所が「国木田花丸センター楽曲」の舞台であることの必然性はどこにあるのか、彼女の目線から迫ってみましょう。

 

 

 

「図書室はいつしかまるの居場所となり、そこで読む本の中で、いつも空想を膨らませていた」

「読み終わったとき、ちょっぴり寂しかったけど」

「それでも、本があれば大丈夫だと思った」

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TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』1期4話より

 

かつて本の世界の中に閉じ篭っていた彼女は、本を閉じた時に自分がひとりであることに少しの寂しさを感じていました。それでも、小学生の頃から本と一緒に過ごしてきた彼女は、本があれば大丈夫だと思えた。

図書館はそんな彼女と、彼女の世界をずっと守り続けてくれた存在でした。

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TVアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』2期13話より

 

「今まで、まるたちを守ってくれて、ありがと。」

 

 

国木田花丸にとって、このMVの「温室」とは「図書館」のことなのではないでしょうか。そして国木田花丸が「蝶」であるのと同じように、彼女にとっては自分の目の前でサナギを脱ぎ捨てて成長していった、ふたりの仲間もまた「蝶」なのだと思います。

 

 

MVの回想シーンで、まだAqoursと出会う前の1年生組がマルサン書店で一同に会する場面。ここで黒澤ルビィソロパートからうたわれている歌詞は「僕らの夢が伝われば 信じられないぐらい遠くへ飛べそうだから」であり、自分ひとりでは飛ぶことができなかった彼女が、夢を共にするみんなと一緒だからこそ飛ぶ勇気を持つことができた。そんな1年生組の想いが込められているような気がします。

 

 

「これで終わりずら」

「全部なくなっちゃったね」

「捨てられたわけじゃないずら。鳥みたいに、飛び立って行ったずら」

「パタパタって?」

「新しい場所で、またたくさんの人に読んでもらって、とてもいいことだって思えるずら」

「ルビィたちも、新しい学校に行くんだよね」

「ちょっと怖いずら」

「ルビィだって」

「でも、花丸ちゃんたちとスクールアイドルやってこれたんだもん。大丈夫かな」

「堕天!!(しゅたたたたた)」

「ほら、行くわよ!リトルデーモンたち!」

「「うん!!」」

 

 

彼女たちが飛び立てるようになるまで、ずっと守ってくれていた図書館。そんな図書館の本たちも、浦の星女学院の廃校を機に彼女たちと共に外の世界へと飛び立って行きます。 

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『未体験HORIZON』MVより

MVのDメロ前の間奏のシーンでは、突如として訪れる闇と共に温室の屋根が消え、無数の蝶が宙へと飛び立って行きます。この場面は夕方から夜への時間経過が急激で、場面転換のために背景を暗転させるだけの演出のようにも見えますが、「温室」を「図書館」、「夜の訪れ」を「浦の星女学院の廃校」、「蝶」を「本」として解釈するとこのシーンの映像演出に説明がつきます。

 

 

MVの冒頭では国木田花丸の物語への入り口として白紙の本が開かれますが、本は誰かに開かれることで、物語として誰かの夢に羽ばたきます。

つまりこのMVにおいて、物語こそが蝶なのです。

 

 

Aqours9人分の蝶のモチーフが存在するのは9人分の物語が存在するからであり、そして9人分の物語から成るAqoursの物語が存在するのです。

本の数だけ物語が存在するように、私たちAqoursのファンにも、ファンの数だけ物語が存在します。そしてAqoursと私たち、ラブライブ!を取り巻く全ての人間から成る巨大な物語こそが

 

 

 

「新しいみんなで叶える物語」なのです。

 

 

 

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「私には夢があります。みんな目標を持ってそれぞれの人生を頑張っていて、その中にAqoursがいて、Aqoursを通して、みんなの夢っていうか、生きる活力になって欲しいなって思ってます。Aqoursの夢がみんなの夢になったらいいなって。みんなの生きる活力になりたいんだよ!本当に!みんな、明日から頑張れますかーー!!」

Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR 埼玉公演 高槻かなこMCより 

 

あのMCを思い出します。

高槻さんは以前から「夢を叶えたい」という言葉を常々口にされている方でしたよね。自分自身だけでなく、誰かの夢も背負って叶えていくと公言するのは並大抵の覚悟ではできないことでしょう。彼女は「かなこ」という名の通り、「夢を叶える人」として生きる運命を背負った人なのだなぁと思うのです。

 

 

1人よりも2人での方が、2人より9人での方が、9人よりみんなでの方が、きっと大きな夢を叶えられる。花丸ちゃんの背中を押してあげようと決意して、見事にその夢を叶えてみせた彼女なら、この先もきっともっと大きな夢を叶えていくのでしょう。「Aqoursの夢がみんなの夢になったらいいな」という願いはとても尊くて、その美しい響きは今でも私の胸を打ちます。でもだからこそ、私も誰かに夢を預けている場合ではないのだな、と強く背中を押されている気分です。自分信じてみたくってさ。

 

「花丸ちゃんがセンターになって、夢を叶えるってこういうことなんだと実感しました。でも、叶えたから歩みが止まることはありません。」

電撃G's magazine.com【Aqours 4th シングル「未体験HORIZON」発売記念!】国木田花丸高槻かなこインンタビューより 

 

 

 

 

余談ですが、少し蝶の夢の話を。

先述したMVの間奏からDメロへのシーン、場面が温室から海へと転換しますが、ここで現実から非現実への跳躍が行われていますよね。現実世界からファンタジーへと誘う存在、妖精には蝶の翅が生えているものです。

妖精は人を夢へと誘う存在でもあるようですが、夢に蝶が出てくるのは人生の転機、変身、ターニングポイントを暗示する、とも言われているみたいです。「胡蝶の夢」なんてお話もありますね。荘子という人が夢の中で蝶になり、自分が蝶なのか、蝶が自分なのかがわからなくなったというお話。「胡蝶の夢」はことわざとしても使われているようで、"自分と物との区別がつかない物我一体の境地" "現実と夢の区別がつかないこと" を表すそうです。人と本の区別をつけずに「物語」という一元的な概念として扱っていたり、現実から非現実への跳躍がシームレスに行われていたりする、このMVとは共通点があるように思えます。が、残念ながら本当に不勉強なので与太話はここまで。

 

 

 

 

 

・水平線へと

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『未体験HORIZON』MVより

非現実のシーンを真面目に考察するのもおかしな話ですが、後述しますと書いてしまったので一応やります。

こちらのMVでDメロにあたるシーンですが、タイムラプス撮影っぽい映像になってますよね。『HAPPY PARTY TRAIN』のMVでも、落ちサビ以降の背景で星空を定点で長回し撮影したような映像が登場しています。ラブライブ!は時間と距離の概念をぶっ飛ばして、感情を最優先で描くようなエ・モーショナル演出が見所だなぁと思っています(感想)

こちらのシーンですが、画面向かって左から右へと太陽が移動しているので、映像だけで言うと日の出から日の入りにかけての時間経過のようなものが描かれています。が、時間の経過というよりは "想い" が理屈も距離も越えて見果てぬ世界へとたどり着くこと に表現の本質があると思うので、たぶんこっちです。

やがてたどり着いた先でウユニ湖を彷彿とさせる場所に降り立つAqoursですが、ここで沈んだはずの太陽が水平線の向こう側で再び輝きます。つまりこれです。

 

「動き出したミライへ…!」

 

 高海千歌が歌うこのフレーズは、水平線の向こう側で待ち受ける未来へと想いを投げかけています。希望を求めずにはいられない、明日を渇望する気持ちには抗えない。居ても立ってもいられないような、衝動に駆られて思わず走り出してしまうような。輝きを切望する心にとって、朝日が昇るを待つのでは遅すぎるのです。

アニメの物語でも、高海千歌がいつもそうであったように。

『未体験HORIZON』のMVでは、Aqoursはついに地球の自転を追い越します。新しい朝が来るのを待つのではなく水平線の向こう側へと飛び立ち、自ら太陽を迎えに行ったのです。

 

"太陽を沈ませない" という新しいAqoursの姿からは、これからもラブライブ!シリーズを背負って駆け抜けて行くのだという絶対的な意志のチカラを感じます。一度沈みかけたはずの太陽を呼び戻したかのようなこの映像演出は、圧倒的に「これから」を私たちに印象付けるダイナミックさとパワフルさに溢れていて、思わず胸が高まりますね。

 

 

 

 

 

・明鏡止水

「明鏡止水」とは "波立たず、静かに落ち着いて澄みきった心の状態" を形容する熟語で、本日二度目の登場となる荘子の話から生まれた言葉です。

 

MVでAqoursが海を越えてたどり着いた場所は、どこまでも広がる空の青を広大な水面が映し出す幻想的な光景が広がっていますね。このウユニ湖は実は雨季にだけ出現する巨大な水たまりであり、波がなく水深も浅い、太陽の位置が低い、などの鏡面世界を作り出すのに必要な条件を満たした環境となっています。

Aqoursと海とは切っても切り離せない関係だと思いますので、敢えて海ではなく湖がMVの舞台に選ばれたことには必然があるように思われます。

有識者によれば人間の視線の高さで視認できる水平線の距離は4〜5km程度らしいのですが、障害物のない広大な鏡の水面が広がっていて、水平線を太陽が移動する。という絵を撮ることが目的であれば、ウユニ湖はうってつけのロケーションであるようです。

 

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『未体験HORIZON』のラストフレーズ、国木田花丸が歌う「思い出抱いて前に...」の部分からMVの背景が鮮やかな青い空へと明転します。この「思い出」という言葉と呼応するように、Aqoursが踊る水面には過去のナンバリングシングル衣装の姿が映し出されていきます。

ラブライブ!世界において「空」は彼女たちの心情を映し出す役割を果たしていますが、このMVにおいては「水面」はAqoursの「過去」を映し出すものとして存在しています。水平線の向こう側が「未来」を象徴するものとして存在しているので、「空」を「未来」を映し出すものとして位置付けてみます。

水平線とは空と水とが溶け合った境界線ですが、その空と水面の狭間でAqoursは歌っています。つまり、このシーンでは「未来」と「過去」の狭間である「いま」を輝くAqoursの姿が描かれているんですね。

 

未来と過去の狭間で「いま」というこの瞬間を全力で輝くAqoursを表現するために、水面と空の交わる場所を、過去を大切にしながら美しく描ける場所を、MVの舞台に選んだのではないかと私は思います。

 

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・輝きを背負って

『未体験HORIZON』のMVはこれまでのラブライブ!サンシャイン!!のアニメーション作品と比較してみると、決定的に異なる描かれ方をしている要素がひとつあります。その象徴となるのがこの印象的なラストカット。

思わず視線が吸い込まれる、息を呑むほど深みのある群青色の空。少しの冷たさと切なさと、何も語らない空がぎゅっと胸を締め付けるような余韻を残します。いつのまにか大人びた顔つきになった、いまのAqoursに相応しい空の色ですよね。

 

さてこのシーン、カメラが下からぐいっとパンして青空がどーん!と出てきてMVが終わるわけですが、何も映ってない。ただどこまでも抜けるような空。太陽とか虹とか、なんもない。太陽どこ。

実はこのMV、あらゆるカットで徹底してAqoursは太陽に背を向けた構図になっています。太陽を追いかけていたAqoursはもういない、太陽を背負って立つ覚悟を決めた力強い姿がそこには描かれています。『HAPPY PARTY TRAIN』のMVを見返して頂くとわかりやすいのですが、前作のMVでは物憂げな表情で空や光源を見つめるAqoursの姿が描かれています。対照的に今作では、ほぼ全く見ていません。

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『未体験HORIZON』MVより

特に印象的なのがこちらのルビィちゃんです、まず敢えて振り返って太陽に背を向けた上に

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『未体験HORIZON』MVより

 「今日は一度しかない」という歌詞を歌っているにも関わらず、沈みゆく夕日に背を向けています。彼女の意志は強いです、徹底的です。

実はこのMVでは対照的に、ひとつだけ光源を見つめている子が描かれているシーンがあるのでご紹介します。

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『未体験HORIZON』MVより

アケフェスで遊ぶギルキスの3人、プレイしている楽曲は『ユメノトビラ』ですね。善子ちゃんは何やら小難しい顔をして腕組みをしていますが、なんか変ですよね。この時花丸ちゃんは作詞に挑戦していますし、ルビィちゃんはラクーンの屋上を案内している(恐らくAqoursがライブする場所としてか、練習場所として見つけて報告している)(私服のため時系列の特定ができない)ので、1年生組は新しい一歩を踏み出した成長が描かれているはずだと思うのです。

私が思うに、これ善子ちゃんμ'sの振り付けとフォーメーションを研究してたんじゃないかと思うんですね。彼女はAqoursの活動前から自分の輝きを求めて突っ走っていましたし、μ'sに憧れていたという経緯もない。だからこそ、初めてμ's(太陽)と向き合った瞬間だったのではないか、と。内向的で他者と正面から向き合うことを避けてきた彼女にとって、他のメンバーとは逆に、太陽と向き合うという過程も成長の現れだったのではないかな と想像しています。

 

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μ'sを見つめながら「ぜんぶ乗り越えてくよ」って歌ってるんですよね。

まぁでも深読みかもしれません。3年生との別れも乗り越えなければならないですし、いつも1年生組でつるんでた善子ちゃんが先輩たちと一緒に遊んでいる、というのは立派な成長だと思います。鞠莉ちゃんが卒業する前に思い出を作れてよかったね。

 

 

 

 

・水平線のその先へ、想いをトキメキを

『未体験HORIZON』はあまりに眩しくて、向き合うのに時間がかかってしまいました。Dメロのソロパートの歌い継ぎが特に好きで。ワンフレーズにひとりひとりの物語が、ラブライブ!サンシャイン!!の物語が感じられるところが胸に刺さります。海の深さを知る人、海から見上げた太陽の輝きを知る人、万物を敬愛する尊大な心を持つ人、水平線の向こう側にいる人を想い続けてきた人、自分を犠牲にしてまで大切な人たちの居場所を守ろうとした人、友達に世界の広さを教える中で自分もまたそれを知ることができた人、自分の外の世界に心を開く一歩を踏み出した人、明日に焦がれ輝きを求め続ける人。

この作品と向き合う中で幾度となく虚無のような朝を迎えてきましたが、それでもAqoursに触れるといてもたってもいられないような気持ちになる。輝きを求めて苦しむ気持ちも、これまでの日々も、全てに意味があって、全てに価値がある。そう肯定してくれたような気持ちになる。絶望にまみれた朝だとしても、それでも朝が来ることそれ自体が希望であると教えてくれる。未体験HORIZONは迷いなく希望を歌っているようでいて、「自分信じてみたくって」と信じる一歩手前の気持ちを歌ってくれているところが、等身大の自分にも重なって同じように思えるので。そこが好きです。

 

 

 

今回はMVの考察をメインに書いてみましたが、当記事はいかがでしたでしょうか。是非いま一度MVを観直していただいて、この作品をもっと楽しむきっかけになれたら幸いです。

 

↓こぼれ話と『Deep Resonance』のお話も良かったら読んでね

きみのこころは共鳴しているか?

Aqours 4thナンバリングシングル「未体験HORIZON」発売おめでとうございます。

そして、ありがとうございます。本当に良い盤です。

クリエイター陣の愛を随所に余すところなく感じさせてくれます。本当に良い。

 

 

 

ずっと待ち続けて来たナンバリングシングルだけに、我、思うことあり。でもラブライブ!に今さら考察必要なし、それもわかる。

でも、やりたいので勝手にやっちゃえレッツゴー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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・『未体験HORIZON』

今回の新譜はこれまでのナンバリングシングルの収録曲より、コンセプトがわかりやすく明確になっているように思います。3曲に共通するキーワードは「もっと!」という輝きを求める言葉。水平線の向こう側に待つ新しい輝きへと手を伸ばす、未来への希望に満ち溢れたAqoursを象徴するようなキーワードじゃないかな と。

サビ部分の「もっと」はライブではオーディエンスがコールするであろう構成になっていますね。たぶん。

“元気? もっと! 元気? 出して!” 

って歌詞にわかりやすく疑問符までつけてくれて、畑亜貴先生は親切ですね。はい!ここファンのパートね!って言われてる感じ、むず痒いですが甘んじてやらせて頂きましょうありがとうございます(平伏)

 

CDの音源で聴くとAqoursが自分を応援してくれてるって気持ちになりますが、ライブでは私たちがAqoursを求める構図になる。これ、なんだと思いますか?

 

 

 

 

はい、これレゾナンス(共鳴)。

畑亜貴は天才。

 

 

 

 

ちなみに歌い手と聴き手で歌詞が違う意味合いを持つように作られてるの、これ『SKY JOURNEY』と同じですよね。 

3rdシングルでいえば、3曲目の『SKY JOURNEY』も好きなんです。これはAqoursが聴き手を励ますような曲ですが、ファンの視点に立つと、Aqoursを応援する曲になるんです。HAPPY PARTY TRAIN』と関連づけたくて、人生の旅ーーその途中でみんなとの出会いがある、と考えていきました。それでAqoursとファン、お互いの想いが交差する曲を作りたいと思ったんです。それをどう表現するかと考えた時に、二重の意味を持つ歌詞にするというアイデアが沸きました。

 『ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2』畑亜貴インタビューより

 『未体験HORIZON』はMVのイントロ部分に象徴されるように、Aqoursの「これまで」と「これから」を歌った曲ですが、アニメ本編の中のストーリーだけでなく、私たちとの旅の思い出もその軌跡に含んでくれているように思えます。あったけぇですね。

 

 

 

さて、ラブライブ!で「もっと」と聞くと思い出すのは

 

 

 

 

 

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こちら、『Angelic Angel』ではないでしょうか。

“Ah!「もしも」は欲しくないけど

        「もっと」が好きAngel”

「翼」をただの飾りにはしないあたりも通じる部分がありますね、畑亜貴先生の中で育ってきたAqoursも、いよいよ飛び立てる頃合いまで成長したということでしょうか。

 

ちなみに『Angelic Angel』では “愛しい夢はまだ終わらない” というあまりに美しい歌詞がうたわれていますが、『未体験HORIZON』のMVのラストシーンなんかまさにこれですよね。お茶が熱いのめちゃくちゃヤバいですね。ヤバくないですか。

 

「Q: なんで水の中でも息ができるの?」

「A: たぶんさっき飲んだ熱いお茶のせいかな」

 

ラブライブ!史上最高にファンタジー極まりない『恋になりたいAQUARIUM』の歌詞がまさかの伏線回収 (?) 、激アツですよね。色々解釈あると思うのでまぁ あれですけど、“僕らは夢で息してる” の歌詞をもって議論は一旦の収束というかたちになりますかね。

青春という熱に浮かされた夢のような時間はまだ終わらない。元気の温度は下がらない。熱いままで羽ばたいてく、今もあっつい。

 

 

 

Aqoursの話をしてるのにμ's引っ張り出して来ると目くじら立てる方もいらっしゃるかと思いますが、当記事では畑亜貴先生の「ラブライブ!観」であったり、彼女自身の「人生観」から今回のシングル楽曲の歌詞に迫ってみたいな〜なんて思ってます。迫れるかどうかは知らんけど。

 

Angelic Angel』はかなり大人な歌だと思います。“いつかそんな恋してみたかった” だから、もうその願望はないんですよ。漠然と男性に憧れている感じじゃない恋がしたいっていう、意志ですね。“もしも” が欲しくないというのは、「もしもさ、わたしに彼氏ができたらさ」みたいな無邪気な会話じゃないよね、わたしたち、っていうことなんです。

『CUT』2016年6月号 作詞家・畑亜貴インタビューより 

 

 

 

 

・ †作詞家・畑亜貴

畑亜貴先生がどんな方なのか、彼女のソロアーティスト活動や、雑誌のインタビューを追ってる人ならなんとなくご存知かとは思いますが... 

こんな感じのダークネスな世界観をお持ちの方です。好き。

作詞家としてあまりに有名であるため、彼女がシンガーソングライターであることをご存知ない方も多いみたいなので。ソロアーティストとしての作風は、言ってしまえば「この世の終わり」って感じです。

 

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wikipediaより引用

そもそもシングル曲のタイトルが読めない。何だその漢字は。V系か?

『棺桶島』『世界なんて終わりなさい』『愛するひとよ真実は誓わずにいよう』なんてタイトルのアルバムを出してる人が、ラブライブ!シリーズのキラキラした希望に満ち溢れた楽曲を手がけているとは。事実は小説よりも奇なり。

 

『世界なんて終わりなさい』っていうアルバム(1999年リリース)を出しているんですけども、自分の基本の部分はそこかなと思っていて。

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

そんな彼女ですが、自身のアーティスト活動の制作では「自分の歌は曲と詞を同時に作っていくので、まず根本から作り方が違います。それに私という人物や人生のことを見つめて、ひたすら自分自身を掘り下げていく作業になるので......。(ラブライブ!サンシャイン!!TVアニメオフィシャルファンBOOK2より)」と語っています。

ラブライブ!楽曲に関しては、μ'sやAqoursの等身大の目線で多大なる愛を注いで作詞されていることは言うまでもないことですが、

 

(加藤) 物語の中で歌詞や劇伴を作るときに「ラブライブ!」としての核と言うべきものはあったりするんですか?

(畑) 私は自分だったら絶対考えないなっていうところですかね。普段わりと光の方を向いて生きてないんで(笑)

(畑) 常に闇の方を見つめて生きているので、その反動ですかね(笑)

(畑) 無い世界だからこそ、美しく書ける。まったく反対に振り切れるんですよ。

『CONTINUE』Vol.58 畑亜貴&加藤達也 特別対談より

 

世界の不条理さ、痛み、悲しみ、苦しみ、孤独、そういった感情と向き合いながらアーティスト活動を続けてきたからこそ、ある意味では非現実と思えるような、ありもしない救いすらもたらす曲を生み出すことができるのでしょう。

 

人生についての考察が少し落ち着かないと、苦しいままだと思うんですよ。でも、歌詞を書くって結局そういうことじゃないかなって思っていて。自分の人生と向き合って、それを追認してやっていかないと、心の中でキュッてなる、泣きそうになる部分がみんなに届けられないのかなって思います。

『CUT』2017年5月号 作詞家・畑亜貴インタビューより

 

自身の人生と向き合いながら作品のフィルターを通して作詞活動を続けている彼女ですが、人生観や哲学そのものが作詞の根底にあり、それらが物語を美しく、儚く彩るエッセンスとしてに投影して分け与えられているだけあり、その世界観がぶれることがありません。どの時系列のインタビューを掘り起こしてみても、μ'sとAqoursの楽曲を比較してみても、「青春」「輝き」「奇跡」などの言葉が持つ意味や、その価値は変わらずにスクールアイドル像を形作る芯として通底しています。

また彼女自身が作曲・歌唱の活動を行っているからこそ、メロディーが求める言葉の響きや、軽妙な言葉遊びが合致した天才の所業が生まれているわけですね。

 

 

 

さて、ラブライブ!楽曲、特にAqours楽曲に関しては作品の物語に寄り添ったものが多いため、語彙や表現は10代の純朴な少女に合わせた等身大の作詞がなされています。

ですが、ユニット楽曲に関してはその限りではない。むしろわりとやりたい放題である。

 

ユニット曲なので、フィクション感の中で何かをやってしまう描き方で進めてます。

 『CUT』2016年6月号 作詞家・畑亜貴インタビューより

 

やっぱり私の好み的には、ユニット曲をやると全開になる、といいますか(笑)。もう、元気全開!になりますね。もちろん本編も気合は入っているんですけども、ユニット曲ではアーティストとしてのAqoursのメンバーたちと触れ合えてる感じがするんですよね。

『CUT』2017年5月号 作詞家・畑亜貴インタビューより

 

ユニット楽曲はあくまでフィクションとして、アイドルとして歌っているものであるという捉え方は一貫しているようです。μ'sの頃からずっと。

彼女が趣味として「微熱 (恋になる一歩手前の状態) 」を愛しすぎていて、その趣向が一部の楽曲に投影され放題であることはあまりに有名ですね。悲劇的、厨二的なエッセンスを感じたら「これは・・・」となる人も多いことでしょう。

つまるところ、作詞家・畑亜貴はアニメの物語の中で生まれた楽曲には作中の彼女たちの等身大の歌詞を与える一方で、物語と直接的な関係のない楽曲にはアーティスト・畑亜貴の人生観が投影されているということです。

 

子どもの時から考えてましたね。今あるこの現実の世界が、何かしっくりきてないなっていう気持ちがあって。ものすごく違和感を抱えながら過ごしてました。なんで人間っていう器の中に入っちゃってるんだろうなあ、みたいなことにも違和感を感じたりとか(笑)

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

 

仕事から離れて単なる畑亜貴になったときは、常に「わたし、宇宙から落ちてきた宇宙生物の卵から孵化した何かじゃないの?」みたいなことを思います(笑)

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

はい、これAZALEA (断定)。

 

(笑)じゃないんですよ、そのまんまじゃないか。

『shadow gate to love』の歌詞に出てくる“麝香の強さ まとう目に” のフレーズも彼女の趣味全開であることが明言されてましたし(ソース失念)、どうやら畑亜貴先生は厨二病が大変お好きなようです。μ'sのユニット楽曲で言えば『ダイヤモンドプリンセスの憂鬱』には “光纏う守護者” なんてフレーズもありますし......。

そう、彼女は †厨二病† がお好きなのです。

そんな作詞家・畑亜貴ラブライブ!サンシャイン!!というコンテンツの中で翼を広げられる場所は、これまではユニット楽曲にしかなかったのです。

そう、これまでは.................。

 

 

 

 

 

 

・『Deep Resonance』

畑亜貴先生† 待望 (たぶん) の、異世界ファンタジーで戦うAqours楽曲の降臨です。しかもセンターを務めるのは我らが闇の代弁者にして魂の救済をもたらす者、漆黒の堕天使 †津島善子 (ヨハネだってば)。 これはもはやアルティメット・ラグナロク。冥界の託宣を携え、今こそ崇高なる堕天使の力で暗黒の隔絶を打ち破るのだ。クッックック........これは運命の導き..........。となったであろうことは想像に難くありません。(そうか?)

 

この美しくも激しく、残酷な運命のように迫り来る重厚な旋律の楽曲に、畑亜貴先生はどのような想いを込めて作詞をされたのでしょうか。想像の域を出るまでには到底至りませんが、レゾナンスを試みてみます。Deeper Lovingです。

 

 

 

まずこの曲のファーストインプレッションとして、イントロでこぼれ落ちるかのように鳴り出すピアノのメロディと、震えるように消えていくシンセの音に、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになりました。歌い出しのソロパートは物語のプロローグ、代弁者である津島善子が紡ぎ出す独白は

 

“誰にも届かない声が闇を駆け抜け”

 

出サビの独唱から疾走感のあるイントロに突入する展開は、見事に歌詞と楽曲が連動していてまさに神。届かないはずの声に呼応してユニゾンするAqoursの力強い歌声にオタクは死んだ。この最初の歌詞から想起されるキーワードは「悲しみ」「孤独」「叫び」「隔絶」「嘆き」「無慈悲」「不条理」「絶望」「怒り」。

このキーワードから畑亜貴先生とのレゾナンスを試みてみます。

 

(畑) たぶんわたしは、悲劇的な状況を全部把握することが美しいと思ってるんでしょうね。悲劇に酔わないで、今こういう状況なんだと認識するというか。

(インタビュアー) その悲しみは、どこから来るものなんですか?

(畑) 悲しみは、たぶん共有できないことじゃないですかね。「誰とも共有できない」っていう思いが、かなり大きな原動力になってます。 

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

既に理解が追いつきませんが、彼女はそれを (作詞家ではなくアーティスト活動の中で) 形にしないと生きている気がしない、とも話しています。彼女にとって悲しみとは悲劇的な状況それ自体ではなく、それをメタ的に認識した上で、悲しみそれ自体ではなく共有されないことにこそ悲しみの根元があるようです。それは言い換えれば孤独と呼ぶべきものであるように思えますが、敢えてか彼女はその言葉は使っていませんでした。

 

(インタビュアー) でも、音楽を通して何かを共有できた、と感じられた瞬間はどこかで必ずあったのでは、と思うんですけど。

(畑) 逆に、共有を体験できたのはそこしかないですね。ひとりの人間として考えると、多分永遠にぽっちっていう気がします(笑)

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

自らを孤高にして異端の存在であると認識している彼女ですが、悲劇に酔わずに現状を正しく把握した上で尚、自身を本質的に孤独であると捉えているようです。

 

だからこそ、ライブでみんなが一体感を持つ瞬間というのが、奇跡のように思えるんです。「今ここにいるみんなの、何かしらの思いがひとつになっているんだな」っていう。それは揮発性なんですけど、瞬間的にキラッと重なるんですよね。

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

核心に迫るような発言ですよね。ラブライブ!楽曲の輝きが生み出される原点は、彼女のアーティストとしての経験則の中にあったようです。

 

“誰かの鼓動が 君の胸に重なるように” 

 

『Deep Resonance』のこの歌詞の “誰かの鼓動” という言葉に対して、聴き手と曲の距離の隔たりというか「私」や「Aqours」のように特定の誰かを指すのではなく、「誰か」という不特定な言葉を使っている所に違和感を覚えていたのですが。敢えてこの言葉を選んだ理由が垣間見えたような気がします。

人間は本質的に孤独である という前提があるからこそ、畑亜貴先生は音楽の中に他者と重なり合う一瞬の輝きを見出しているようです。インタビューでは (自分のための) 音楽を作っている限りは幸せの中にいます、とも話しています。

 

(インタビュアー) 畑さん自身もすごく救われたい人なのかなって思ったんですが。

(畑) もちろん救われたいですよ(笑) 救われたいけど、まぁ無理でしょうね。ただ、救われたと思えるような環境を自分で作るための努力はできると思います。

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

救いは他者にもたらされるものではなく、そう思える状態を自らで作り出すものであると考えているようです。安易に救いはもたらされない、自らの中に見出すものであるということでしょうか。

 

希望もやっぱり自分の中にあって。自分が何を信じたいか、ほんとに信じられると思うのかっていうところが自分の強さであって、きっとそれが希望になるはずなんですよね。

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

自分が信じたいことを信じる、それこそが強さであり、信じられる強さが自分の希望になる。ゆえに希望は自分の中にある。

 

“希望はここから生まれ ここで消えるのか

   「違う!」と叫んだ 私の心で熱く燃える魂は” 

 

『Deep Resonance』は1番の歌詞では主人公の苦悩と自問自答、そして葛藤がうたわれ、2番の歌詞では主人公の中で燃える闘志を焚きつけるような、逆境に抗おうとする本能を駆り立てるような、衝動的な歌詞がうたわれています。

 

(インタビュアー) 問題は勝敗ではなく、とにかく今の状態に対して「NO」と言うことが大事、ということですか?

(畑) そうですね。戦うことが大事なんじゃないかなって思います。

『CUT』2016年6月号 アーティスト・畑亜貴インタビューより 

 

“Fight back” 

“戦う気持ちさえあればなんとかなる” 

 

こうして読み解いていくと、『Deep Resonance』の闘争心に溢れていてガムシャラで無謀なところは、一見すると『スリリング・ワンウェイ』の精神性と似通っていますね。

しかし両者を比較するとわかりやすいのですが、この2曲が歌っているテーマは全くの別物です。『スリリング・ワンウェイ』はAqours自身が主人公であり、私たちを先導して未来へと前進する曲です。対照的に『Deep Resonance』は私たちが主人公であり、私たちが未来へと前進するのを後押ししてくれるのがAqoursなのです。

『未体験HORIZON』ではAqoursが私たちに手を差し伸べ、共に未来へ向かうという明るく力強いメッセージが歌われていますが、『Deep Resonance』では太陽も月の光も届かない、深い孤独の闇に堕ちてしまった人の背中を押してくれているんですね。絶ッッ対に誰も取り残さねーぞ、何が何でも全員10人目として連れてく。という確固たる意志を感じます。

 

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“僕らはぜったいぜったいぜったい味方さ

なんでも聞いてあげるから

暗くて怖いところへ逃げこまないで さあ、おいで!”

 

優しさに泣いた。

かつて †孤独を愛する者† として日陰者であった1年生組がセンターに立って歌うからこそ、これらの曲たちは勇気を与えてくれるんですよね。

 

 

 

 

 

 

閑話休題。 

 

 

 

 

 

話を戻します。

 

畑亜貴先生のインタビューを総括すると、彼女にとって「悲しみ」の根幹には絶対的に「共感されない」という「孤独」が存在するとした上で、人は本質的には他者に救われることはできないと感じていて、希望は自らの中に見出すしかない。自分が信じたいことを信じられる強さこそが希望になる、勝ち負けではなく、戦うことが大事。そう考えているのではないか という結論にたどり着きました。

本来ではあり得ない「救い」があるとするならば、それはこの世界で唯一「共感」が起こると感じられる「ライブ」の場のみ。音楽を通して、その一瞬の輝きが光となって誰かの心を照らす。

 

 

 

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天界的合致😈

奇しくも畑亜貴先生の思想は同曲の歌詞の内容だけでなく、スクフェス×シャドバコラボのストーリーとも見事に重なります。

 

 

 

結論、『Deep Resonance』という物語は曲中に登場する「君」であるところの、†闇の者† である主人公=聴き手にAqoursによる「共鳴」という、畑亜貴流の救いをもたらす曲なのだという解釈に行き着きました。

その「共鳴」は誰よりも優しい心を持ち、目には見えない力を信じ、他人の痛みを知っていて、そしてかつては †闇の者† であった津島善子にしか成し得ないことでした。

同じ痛みを感情の深い部分で共感できる津島善子が、聴き手=主人公の代弁者として歌い、聴き手と共鳴する。それこそが『Deep Resonance』が津島善子センター曲として生み出された所以なのではないかと思います。

 

 

 

ここまでは楽曲の物語の中のお話をしてきましたが、もちろん言うまでもなく、津島善子と共鳴しているのは聴き手だけではありませんよね。

魔界最強のふたり組の相棒、小林愛香さん😈😈

ナンバーワンリトルデーモンとして津島善子の気持ちに寄り添い続けてきた彼女は、誰よりも深い部分で津島善子と共鳴しようと努めてきたことでしょう。小林愛香さんって誰よりも飛び抜けて優しくて、共感力が強すぎる心の持ち主ですよね。他人の心の痛みにとても敏感で、それをまるで自分の痛みのように感じてしまう人だと思います。

誰よりも優しくて、他人の痛みを放っておけない。

そんな部分でふたりはよく似てるんじゃないでしょうか。

Aqours 2nd LIVE TOURから率先して「10人目」としての私たちに手を差し伸べてくれて、「みんな」を大切にしてくれたのも彼女でしたね。

もしかすると津島善子のC.V.が小林愛香だからこそ、畑亜貴先生はこの歌詞を書いたのかもしれません。作詞家として常に歌い手のことを考えながら作詞をされる方ですから。少なくとも、彼女が今までになく暗く重い歌詞をAqoursに歌わせるに至ったのは、今のAqoursになら譜面上の字面以上のパワーとテクニックで楽曲を引っ張ってくれるであろう、アーティストとしての期待と信頼があってこそかと思います。

畑亜貴先生、津島善子ちゃん、小林愛香さん、そして私たち。

 

 

 

“壊れそうなこんな世界で 出会ったのは偶然じゃない”

 

 

 

そんな『Deep Resonance』にまつわる私の与太話に、少しでも「共鳴」してくれる人がいたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・『Dance With Minotaurus』考察

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミノタウロスは敵じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・余談

私、シャドバをやっていないものですから。

『Deep Resonance』の試聴サイズを聴き込んでいく中で、この難解な曲の世界観をどう解釈したもんかな...と思っていた矢先に始まったスクフェスのシャドバコラボ。ストーリーがものすごく良くって。

彼女たちがAqoursらしくある限り、たとえそこが異世界であろうともラブライブ!が生まれるんですよね。AqoursAqoursであり続けること、その勇気と意志のチカラはいつだって私たちを照らしてくれます。

彼女たちの想いは、私たちの世界をも変える。

あの物語を通して、私が閉じこもっていた小さな世界にもそのチカラが届いた。そう感じました。私の中でAqoursが歌い続ける限り何度でも、あの歌声が闇を祓って照らし続けてくれる。その輝きが胸の中にある限り、絶望にまみれた世界でも......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳内に、直接語りかけて来るんですよね...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・総括 

考えるな!!!!!!!!!

感 (Resonance) じろ!!!!!!!!!!

堕天使的に考えて、

善子ちゃんって、数字に対するこだわりが人一倍強いですよね。

儀式的な意味合いとか、ジンクスにまつわるものなのでしょうけれど。

 

公式のメンバー順では善子は6番の数字を与えられていますが、悪魔的には「6」ってとても重要な意味合いを持つ数字みたいですね。

Aqoursに加入した順番も6番目で、これもまた運命的です。

自身の堕天使性であったり不幸属性を象徴するような、まるで彼女の運命についてまわる宿命のような数字なのかもしれないな。なんて考えています。そんな彼女にとってはアイデンティティのような「6」ですが、堕天使以外の普通の人間からすると不吉で忌み嫌われる数字かもしれません。なぜなら。よくわからないけれど、たぶん悪魔は怖い。

 

彼女の数字にまつわるエピソードで、劇場版の話を思い出しています。

併合先の沼津の高校、部活説明会のステージで6人での最初のライブを行おうとするAqours。9人で立つステージとの違いに戸惑う彼女たちですが、善子は「6」という数字に対して妙に深刻な表情を浮かべて何かを考えていたようでした。

そしてライブはものの見事に失敗。しかもなぜ失敗したのかはっきりとした要因が彼女たちにもわからず、反省はするも漠然とした不安に包まれます。

善子はもしかすると、自分のせいだと思ったのかもしれません。6という悪魔的な数字がAqoursの運命を変え、自身の不幸属性に巻き込んでしまったのではないか と。

失敗したステージを後にして商店街に戻ってきた6人がしょんぼりしているシーン、善子だけがやけに他のメンバーから離れて孤立していましたよね。あれはもしかして、数字が6にならないようにしていたのかな......なんて想像は考えすぎでしょうか。

彼女が最初にAqoursに加入した際、やっぱり堕天使にスクールアイドルなんて無理だと一度は脱退しようとしたことがありましたね。その時もあの子は「迷惑かけちゃうから」って言ってたんですよね。偶然か運命か、その時も数字は5と6の間を行ったり来たりしていました。

 

ラブライブ!サンシャイン!!という作品自体、物語をわかりやすく伝えるために数字に大きな意味を与えていたり、という手段はよく使われていますよね。

「0」から「1」だったり、「10」から「100」だったり。「6」や「9」にも特別な意味合いが付加されている物語なだけに、もしかするとそういうことだったんじゃないかなって思います。

なにしろ、善子は優しい子ですから。

 

あの子はいつもみんなより下がった立ち位置でメンバーを見ていますから、誰よりも8人のことを気にかけてきたのだと思います。全員を見渡せる立ち位置だったからこそ、誰よりも数字に敏感でいたのかもしれない、など。

あの子が最高の笑顔を見せるのは、いつだってみんなのこころがひとつになって輝いている時。そんな善子が悪魔的な数字である「6」よりも「9」を大切にしてくれたであろうこと、とても素敵なことだと思います。

 

小林愛香さん。

津島善子に寄り添ってきたからこそ、きっと他のどのメンバーよりも数字に思い入れてきたことかと思います。

彼女がずっと「10人目」を大切にしてくれていることも、もしかすると最初の由来はそんなところにあるのかも。なんてね。

 

 

 

そんな善子ちゃんのことを考えていた1日でした。

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ハッピーバースデイ、堕天使ヨハネちゃん。

 

 

明日は今日より夢に近いはずだよ

もしかすると、人生は果たされない約束の積み重ねだ。

 

 

 「また、いつか」「また、会いましょう」

 

そう言葉を交わしたまま、この先二度と会うことのない人がどれだけいるだろう。

再開の約束とは、往々にして約束ではない。

それはもはや約束などと呼べるような代物ではなく、ほとんど願い事だ。

それはまるで、当て所ない未来へと向けて投げられた紙飛行機のようだとも思う。

誰もが皆、約束した未来へとたどり着くために、風が吹くことを願っていた。

きっと、ずっと。

 

────風を待っていた。

 

 

 

 

 

μsicforever♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

 

 

 

それは途方もない喪失 だった。

私たちの多くが体験したであろう3年前のその喪失は、言ってしまえば「運命的な大恋愛の果ての、壮絶な失恋」のようなものだった。

どれだけ大きく手を振っても、どれだけ大きな声で名前を呼んでも、私たちの全ては私たちだけのもの と言わんばかりに、その輝きの瞬間は"円"の中に閉じ込められた。

 

いよいよ夢のような時間が終わるのだな、ということをアニメではなく現実の体験として実感した瞬間、私たちは「いま」という時間が永遠に続くことを願った。けれど彼女たちは時を進めることを選び、時が巻き戻ることはなかった。

彼女たちは「いま」から切り離されることで永遠になった。

 

 

 

 

 

💍

 

 

 

 

 

声は届きませんでした。

 

μ's FINALは地元の映画館で見届けたので、あの時は彼女たちに向けて直接声援を送ったり、感謝の言葉を叫んだり、名前を呼んだり、できなかったんですよね。

だからでしょうか?よりいっそう彼女たちが「手の届かない"向こう側"に行ってしまった」という喪失感と、「なぜもっと」「早く」「本気で」という後悔の念が、胸の中に黒い影を落としました。

その影を拭い消し去ろうとするかのように、私はラブライブ!シリーズでμ'sの後継にあたる「Aqours」の輝きを追い求めるようになります。

 

 

 

時は流れてAqours 4th Lovelive! 〜Sailing to the Sunshine〜

 

4th直前の記事でもお話ししましたが、私にとって東京ドームはAqours 4thが初めてで。

4th LIVE 2日目、満を持して東京ドームで披露された『HAPPY PARTY TRAIN』。

 

「開いた花の香りから受け取ったよ次の夢を」

 

ついにあの舞台で新たな文脈を汲んで紡がれるこの曲に、万感の思いで聴き入りました。

この歌詞が背負う重圧を、果敢にも一身に受けてきた諏訪ななかを見る。なんという堂々たるセンター力か。

Aqours9人があの時、確かにドームに立つ資格を手にした上でステージに立っていたこと。きっと誰の目にも明らかだったことでしょう。

もちろんドームに立つ資格とは、箱を埋めうる集客力のことを指して言っているのではありません。先駆者たちの威光に霞むことのない輝きと、そしてそこに並び立つ覚悟のこと。自分たちが絶対的に自分たちであるという確信を、その誇りを、Aqoursはステージの上で見事に証明してみせました。

 

「開いた花の香りから受け取ったよ次の夢を」

 

次の夢は確かにそこにあった。

歌詞に歌わされる彼女たちではなく、彼女たちの生き様が物語を証明して夢を現実に変えていく。新たなる物語の担い手たちはついに胸を張って、あの東京ドームで、偉大なる先輩たちに「受け取ったよ」とアンサーを返せたのかもしれません。

 

 

 

 

 

🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃

 

 

 

 

 

 

そして迎えた東京ドーム公演2日目の終演。

彼女たちは──いえ、あの子たちは見事にやってのけました。2日間にも渡って巨大なドームを幸福で包み込み、輝きで満たしてみせたのです。あんなに小さな体で。

2日間で10万人以上もの観客に向けて声を、パフォーマンスを、そのエネルギーを届けるということは肉体的にも精神的にも、そして技術的にも並大抵のことではありません。Aqoursの9人が東京ドームでの公演を行うと知らされて以来、1年以上もの準備期間を経ての、険しい道のりの末に辿り着いた"頂"の境地でした。

 

3年前。偉大な先輩たちが5万人もの観衆から熱狂的な、それはもうほとんど狂騒のような声援を浴びている姿をAqoursは目撃しました。

あまりに巨大な感情でその名を呼ばれ、存在を求められるμ'sを目の当たりにしたあの時。まだ何者でもなかった9人の少女は、本物の絶望と対面しました。

「絶望。」小宮さんははっきりとそう口にしていましたね。

「私たちがこれからどういう事をしていかなければならないのか」という使命を"理解"した逢田さんは、「私たちには無理だ。」そう思ったと話していましたね。*1

 

 

 

Aqours 4th LIVE 2日目。

あの日私には、ある確信がありました。

3rd LIVEで伊波さんは、「みんなが信じてくれたから跳べたんだ」とそう話していました。だからこそ、彼女は私たちを信じてくれているはずである と。

 

アンコールの演目を終え、会場中を渡り歩いて「ありがとう」のやり取りをするAqoursと観客。まだ名残り惜しそうな雰囲気の中、迷いなくセンターステージから全速力で駆け出しメインステージへと上り詰めた伊波杏樹。確信的な後ろ姿を見せて先陣を切る彼女の姿を見た時、直感的に思ったのです。これはメッセージだと。

声援を振り切って肩で風を切るその姿が、私たちがもう一度Aqoursの名を呼ぶことを信じてくれているようにしか見えなかったのです。予定調和ではない、本物のダブルアンコールのために。

 

 

私には確信がありました。

あのままAqoursを帰らせるつもりは毛頭ありませんでしたし、絶対に呼び戻してやるんだという衝動が私を突き動かしました。

あの東京ドームで、他の誰でもなくAqoursの名を呼ぶ、絶対に声を届ける。

あの時はできなかったことが、今ならできる、今しかできない。

「ありがとう」の気持ちは「いま」伝えなければ絶対にだめだ。

 

 

 

疑心暗鬼と戸惑いに包まれていた空気は、やがて膨大な熱量を孕んで膨れ上がっていきます。

そしてついに会場を包み込むAqoursコール。

東京ドームが巨大なひとつの感情で満たされた時、私は勝利を確信しました。

彼女たちがステージに戻って来ずとも、確実にこの想いは舞台裏まで届いている。その時点で私の願いは成就されました──計らずして2年半越しに。

 

 

 

人生には時々びっくりなプレゼントがあるみたいだ。

止めどなく溢れる声援の最中、ステージに眩い白い光が落とされると──そこに姿を現したのは、偉業をなし遂げた9人のヒーローでした。

 

 「こんなにたくさんの人たちが、わたしたちAqoursのことを呼んでくれた」

「やってきてよかったなー!」

 

高らかに、誇らしげに声を上げる伊波さん。

今にして思えばそれはアニメ2期13話のAqoursの姿にも重なるもので、「眩しい世界で呼ぶ声が聞こえた」と歌う『青空Jumping Heart』はラブライブ!決勝のアンコール曲でしね。

あの子たち現実のAqoursにとって、ラブライブ!優勝に相当するような「私たちはやったんだ!」と胸を張れるような、明確な"結果"を手にしたのはあれが初めてだったのかもしれません。アニメ2期のAqoursの背中を追い掛ける3rd LIVE TOURを経て、やっと劇中のAqoursに肩を並べられた瞬間。

後日逢田さんが「初めて報われた気がした」とお話しされていたように、私たちがこれまで見届けてきた表舞台での成功とは裏腹に、想像もつかないような苦悩と葛藤を積み重ねてきた2年半だったのでしょう。

 

「私たちには絶対無理だと思った、恐れ多かった」

 

ダブルアンコールでステージに立った伊波さんは、目に涙を浮かべながらそう打ち明けてくれました。責任や立場のある人が弱さを見せるなんて、それは弱さを乗り越えた人にしかできない、許されないことです。彼女はいつだって奇跡のような光景を私たちに見せた上で、実は私も人間で、私も最初はみんなと同じ"0"だったと打ち明けてくれる。彼女のステージ上での姿が輝かしければ輝かしいほどに、その言葉は私たちの胸を打つ。勇気を与えてくれます。

伊波さんはこれまで幾度となく私たちと約束を交わしてきました。2nd LIVE TOUR千秋楽での、「絶対びっくりさせてやるからな!」「何を言われたって絶対輝いてやるんだからな!」もそうでしたね。

そんな伊波さん率いるAqoursは、またあのドームのステージに戻ってくると約束してくれました。Aqoursの残りの活動期間の中で果たしてそんなことが可能なのか、それはさっぱりわかりません。あれはきっと"紙飛行機"だったのでしょう。であれば、私たちは共に輝きを目指す風であり続けるしかないのです。

 

 

✈︎

 

 

あのダブルアンコールのステージで、伊波さんと、Aqoursの9人がマイクを通さずに私たちに想いを伝えようとしてくれた時。

針の穴に糸を通すような緊張感で5万人が呼吸を止め、ステージの一点にその全ての視線が注がれた瞬間。

この世界で最も美しい静寂が、まるで時が止まったかのように真っ白な刹那が訪れました。まるで時間すらも呼吸を忘れてしまったかのような、真っ白な静寂。

 

 

 

一拍置いて私たちが相見えたのは、初めて鼓膜に届いた真実の声でした。

思っていたよりもはるかに繊細で、それでいて生命力に溢れていて。

紛れもなく心の奥底から溢れ出た剥きだしの感情に、曇りなき本物の輝きを見たのです。

 

 

  

 

 

 

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もしかすると、人生は果たされない約束の積み重ねだ。

 

3年前のあの日、本来であれば果たされないであろう約束を、きっと私たちは交わして しまった。約束は当て所なく宙に浮かんだまま、約束は約束ではなく永遠に願いのままだったかもしれない。そういう運命だったのかもしれない。

けれど風向きは変わった。

新しい時代の風が吹いた。

結果として、私たちは光る風になったのだ。

この先にはもっとすごい、予想だにしないような大きな流れが待ち受けていて、私たちをまだ見ぬ輝きの景色へと誘ってくれる予感がしている。

 

 

 

μ'sが再びステージに立つ日が来る。

それも9人ではなく、場合によっては29人の。

あるいは58人のステージだ。

 

スクールアイドルの輝きが広がっていく、そして繋がっていく。

高坂穂乃果の願いが夢のままで終わることなく、現実のものとなっていく。

SUNNY DAY SONG』がステージ上での体現をもって完成される日が来るかもしれないなどと、あの頃にいったい誰が想像したでしょうか。

 

夢はまだまだ終わらない。

それどころか、"みんなで叶える物語"はもっと大きな夢を欲している。

"みんな"が輝きを追い求める限り、きっと誰に耳にも青春が聞こえる。

 

栄光の瞬間を切り取った永遠ではなく、彼女たちと共に輝きを追い求める「いま」を続けていくことこそが、"μsicforever♪♪♪♪♪♪♪♪♪"のあるべきかたち。それこそが"10人目"としてあるべき姿なんだ、ということを今は自然に感じていて。

"いまが最高!" は"君のこころは輝いてるかい?" に対して "Yes!!" と答えることと同じだとも思う。がむしゃらに輝きを目指して進み続ける彼女たちに負けないように、私自身もまたそうあるしかないのだと。

以前は"10!"と叫ぶことや"Yes!!"と答えることに対して気遅れや葛藤がたくさんあって、胸を張ってそう思えないこともあったけれど。今はもう少し前向きに思えてる。

それはきっと、Aqours 5th LIVEの『Next SPARKLING!!』のステージで、「新しい輝きへと手を伸ばそう」と歌う彼女たちと共に、輝きへと手を伸ばそうとした自分との思いがけない出会いがあったからかもしれない。

ラブライブ!はいつだって、まだ出会ったことのない自分との出会いを与えてくれる。

 

 

 

いつだってラブライブ!は私たちと共にある。

いつだって、どんな時もずっと。

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*1:シブヤノオト Aqours東京ドームへの道より

渡辺と津島は顔がいい

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あのさ

 

ちょっと海、寄っていかない?

 

いや、大した用はないんだけど

 

用はないんだけど、曜はあるっていうか

 

ツノはあるっていうか

 

羽もあるっていうか

 

虹もあるんだけど

 

あのね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#じもあい

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曜アンドエンジェルが好きだ。

なんとなく見た目が良いから。

 

"ようよし" よりは "曜アンドエンジェル" が好きだ。

なんか平和だから。

 

誤字してるから善子が書いたなんて放送当時は言われてたけど、そこのところはきっちり修正されてる。ってことは曜が書いたんだろうなって思う。

1期の善子はきっと、自分のことをエンジェルなんて呼ばない。

きっと曜が「善子ちゃんのことはよくわかんない。けど、たぶん天使か何かなんだと思う」ぐらいのふわっとした認識で書いただけなのだと思う。

善子が自分の中の「堕天使」という概念に対してどんな気持ちを持っているのか、曜は知る良しもない。善子は「だーかーらー!ヨハネだってば!」と都度抗議しているはずだけれど、おおよそ他人からは理解されないであろうその概念に「ちょっとよくわからない」と眉をひそめつつも、理解できなくても善子ちゃんは善子ちゃん。というスタンスで、ありのままの善子は曜は受け入れてしまう。

「堕天使ヨハネ」は他人からは受け入れられないはずの存在だし、その世間とズレてる異質な存在はひとことで言ってしまえば「面倒臭い」だ。善子にとって、自分は面倒臭くて迷惑な存在。それなのに、曜は細かいことを全く気にせずフラットに、善子をひとりの普通の人間として扱ってしまう。

理解されないのに存在を肯定されてしまうというのは、善子にとっては実に居心地の悪いものだと思う。でも曜はひとっとびでコミュ障の後輩とも距離を詰めてしまうような明るい性格の子だし、面倒見もいい。

善子にとっては自分の在り方が深刻な問題であったとしても、曜にとっては「そんなの関係ないってー。」取るに足らない問題なのだ。

 

平和だ。

 

それは善子にとっては何もない "0" の自分を肯定されるのと同義で、千歌が堕天使ヨハネを受け入れたこととはまた違う形の肯定。

おそらく、善子は少なからずこの能天気で無駄に元気な先輩に救われたことだろうと思う。

 

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善子、たぶん友達とプリクラ撮ったことないでしょう。知らんけど。

知らんけど、いいよねこの笑顔。

曜アンドエンジェルがナンバーワンなのもわかる、絶対そうだと思う。

 

翼が描かれてる場所、おかしいけど。

ベレー帽から生えてるじゃん、鹿かトナカイみたいになってる。

普通そこに描くなら天使の光輪とかじゃない?

このどうしようもない解釈違い感、やっぱり曜は全然わかってない。

 

 

 

今日も曜アンドエンジェルは平和だ。

 

 

 

 

 

#全人類リトルデーモン化計画

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陰キャ陽キャに振り回される構図、いいですよね。

まぁ陽キャっていうか曜なんですけど。

 

それまでの人生で全く関わりがなかったであろう、人気者で元気な体育会系の先輩との接し方に戸惑う善子、でもまんざらでもなさそうっていうか、むしろい内心けっこう嬉しいみたいなのいい〜〜〜〜って思ってたんですけど。

 

上記の画像ぐらいしかそれに近いシーン特になかったですね。

 

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こちらは "天界からの使者によってもう一つの世界が現出したような違和感" がわからないようよしの図ですが、戸惑ってるのは曜の方なんですよね。。

ともあれ、曜はわからないなりにくそ真面目に堕天使ヨハネちゃんと向き合おうとしている、という真摯な姿勢が見て取れるのでとっても愛おしいです。

 

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でも劇場版のこのシーンはすっごくイイ。

この時多分、曜は他のメンバーの存在にも気付いてるんじゃないかと思うんですけど、善子が真っ先に尻尾出してくれたからツッコミやすかったんじゃないかな〜と思うんですよね。むしろ善子は自分からツッコマれに行ってる。曜はみんなに尾行されてるっぽいことには気付いてるんだけど、気付いてるけど絶妙に気まずい〜〜〜〜みんな尾行下手くそかよ〜〜〜〜ツッコミづらい〜〜〜〜って感じ。そんな 曜だから、善子以外のメンバーには「よ・し・こ・ちゃ・ん?」みたいな圧のある態度はできないと思うんだよな〜〜〜〜〜〜っていうか曜に善子みたいなアホな子分(?)(とても失礼だな?)がいるのってすっごい良くない?いやすっごく良い。実にいい。曜はひとりっこだから、いたずらっこな弟ができたような感じにならない?いや、なる。なるでしょ。

リアルこそ正義 、リア充にわたしはなる!

 

・・・⛵️。

 

そもそも曜、月からの電話を受けて誰にも何も告げずに黙って店を抜け出してる時点できな臭いというか、何かしら隠し事があってそれをひとりで抱え込もうとしてるのは明白だし、いやそういう所やぞ。

月サイドの視点で見てみれば、生徒会長である自分が浦女の生徒と仲良くしてたら、そりゃあ立場上いろんな方面に角が立つだろうし、相手が従姉妹であろうと浦女の生徒と密会するなら変装しててもおかしくないよね〜。そりゃ目立ちたくはないよね。だからと言ってこっそり抜け出す必要はなかったはずの曜だし、その、なに?気の使い方って言うか、そういう所やぞ。

ほら見ろ小原、あんたがあんな感じだったから。あんたの背中を見て育った後輩はこんな感じになっちゃったぞ〜〜〜。

そんな面倒くさい感じの先輩をさりげなーく、誰にも気付かれることなしにそーっとフォローしてあげる善子isマイジャスティス。善子のそういう所やぞ。じもあいはここにあります。じもあいです。

 

 

 

 

😈😈😈😈😈😈😈😈😈😈

 

 

 

 

 

だらだらと曜アンドエンジェルの話を垂れ流してぇな〜と思って書き始めてみたんですけど、アニメ世界線だと供給が少なすぎてほとんど妄想しかできないですね。

 

あと劇場版の善子の話をいっぱい書きたかったんですけど、眠いのでまた今度にします。

 

 

 

 

 

 

#ヨハネセンターへの堕天ロード

不幸とか不運とか、そういうのもういい。

全世界で最高のハッピーをあいつの背中に背負わせてやりたい。

あいつは身に余ると幸運を素直に受けとらなさそうだし、

逃れようがないぐらい無理矢理にでもステージの真ん中に立たせて、

真っ白なスポットライトで、あいつただひとりを照らしてやりたい。

 

 

 

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いや、そこではないです。ステージに立ってください。

 

 

 

 

 

善子ちゃんに羽を広げられる場所を与えてあげたい人は

善子ちゃんに投票しましょう。

あと渡辺のオタクも善子ちゃんに投票しましょう。

 

投票期間あと12時間切ってるけど、1票でいい。

これで誰かの0が1になってくれたら嬉しい。

 

・・・もう少しまじめに書けば良かったな