あきの忘備録

あきのの外部記憶装置

それでも知りたいのですね

子供の頃、風邪で高熱に魘されたときは決まって同じ夢を見た。

 

────抜け出せないトンネルはデタラメに彩度が高くて、目の奥が痛くなるほどの原色が、意識と視界一面を単色で塗り潰していた。トンネルを進むたびに万華鏡のように、目紛しく切り替わっていく総天然色のセカイ。

 目覚めると全身がびっしょりと汗にまみれていて、頭がくらくらする。すぐさま思考は遠くなり、意識は重々しくフェードアウトしていく。

────白と黒のセカイにワープした私は抜け出せないトンネルを巡る。トンネルに吸い込まれるたび、入り口と出口で極小と極大の感覚が交互に訪れる。無限ようなループの中でミクロとマクロが表裏一体になった、セカイのなりたちを直感で理解してしまう。極小と極大の感覚に同時に襲われた時、生と死はセカイを構成する巨大な流れの中の一要素に過ぎないと知る。それは恐ろしい事実だった。宇宙の外側にはまた宇宙が広がっているのと同じように、生と死は同じ概念にして永遠そのもの。自分という個の存在に意味はなく、メビウスの輪のようにセカイは巡り続ける概念として、ただそこに在るだけだった。

 

 そんな夢を見ていた、幼い頃に何度も。

 

 

 

 

 

 

 

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CYaRon!1st LIVEの感想や、妄想をこじつけて書き残しておこうかと、思ったのです。ですが浦ラジで大概のことは語られていますし、もう良いでしょう。彼女たちはみんなをサイコーに元気にハッピーにしてくれました。それはもう大成功だったのでしょうから、きっと2日目も同じように。

 

考察めいたことができなかったのは、わからなかったのです。CYaRon!の楽曲はライブ前には聴いておいたのですが、AZALEAの新譜をまだ聴いていなかったので。流れとか、立ち位置とかそういった事柄が。

Guilty Kissは宇宙船に乗り、CYaRon!はジェットコースターに。おや、ではAZALEAはどうしたのでしょう。ジャケットの画像はPerfume感があります、彼女たちは未来にでもいるのでしょうか。サイバーな雰囲気もあり、AZALEAもGuilty Kissと同じく宇宙にいるのかもしれません。知らないことがまだあるってことは楽しいと思いませんか?思いますね。

 

 

私はAZALEAの新譜を聴いてみることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・シングル『Amazing Travel DNA』を一通り聴いてみた

全体的にふわっとしてますね。なるほど、熱にうなされているのだな と。

微熱ユニットであるところのAZALEAですが、黒澤ダイヤ松浦果南が卒業してしまった後の別世界線でどんなスクールアイドル像が描かれるのかなと思っていたら。青春という熱に浮かれた時間はまだまだ終わらないようです、熱は冷めるどころかますます上がっているご様子で。

未知は未知のままに、恋は恋のままに。でもちょっと大人になって一歩を踏み出したり色んなことが分かってきたり。AZALEAらしさはAZALEAらしさのままに成長した姿が描かれていて、でもまだ大人になり切れているわけでもなくて。本人たちにも多分それがわかっている。だからこそ今を楽しんじゃおうっていうフレッシュさで、ほんのり悪ノリしちゃう感じがなんだかとても微笑ましい。畑亜貴先生のご贔屓ユニットAZALEAのブランド品質、信頼度の高さを改めて実感する新譜でした。C.V.としての歌唱も表現力だけでなく、キャストのクレバーさが垣間見える。声の質感、感情の量感......流石だです。

ところで曲を聴いてから気付いたのですが、ジャケット衣装のデザインコンセプトはどうやらCAさんでしたね。AZALEAがいるの宇宙じゃなくて大気圏内ではないですか、サイバー感に騙されてしまいました。一般論で片付けないで。

 

 

 

 

 

・『Amazing Travel DNA』

私には最初から分かっていました、どうせこの曲名の意味はわからない...。難しい話はBGMなので誰か導いてください。

『GALAXY HidE and SeeK』では広大な宇宙を漂うような少女の孤独が、運命的に出会う誰かへの想いへと美しく収束していく、そんな対比的な世界観が描かれていました。ミクロとマクロ、極大と極小。自分の中の閉じた世界と、自分の外に広がる世界。AZALEAの楽曲は黒澤ダイヤの諦観、国木田花丸の無常観、松浦果南の楽観(?)などのエッセンスがミックスされた独特の世界観で構築されていますが、基本的に内なる宇宙との対話がベースになっていると私は考えています。自分の外に広がる世界は未知なる宇宙であり、自分の中に広がる世界もまた未知なる宇宙なのです・・・落ち着きましょう。AZALEAの歌詞は自己の無意識との対話を切り口に広がっていきます、無意識とはまるで宇宙のような不可思議な存在ではないでしょうか。

“Why do I think?” と思考と感情の間で揺れる気持ちを歌ってきたAZALEAですが、好奇心の赴くまま未知の世界へと飛び出した彼女たちが向かう先とは。“Why do I think?” から始まった学問への探求心は遺伝子へと。「なぜ私をそうさせるのか?」と自身の本能の根源を探る旅に出たのですか。

AZALEAはいずこへ?という疑問を誘う仕掛けになっているこの曲ですが、回答は実にシンプルで。

“自分の"スキ"を探しに 行きたいんですか

 行きたいんですね わかる 私もです” 

相変わらず人の話を聞かないのですね。聡明なAZALEAは恋には躊躇いが邪魔になることに最初から気付いていましたが、今まではどちらかと言えば受け身の姿勢でいました。ところがこのシングルの楽曲では聞き手である「あなた」の手を取り、未知なるセカイへの旅に誘います。少し強引なAZALEAは魅力的ですね、Let me do!

 

人の話を聴かないのは私も同じで、曲名の「DNA」に焦点を絞って謎を突き止めようとしてはみたものの観点がズレていました。故にすれ違って本題から離れてしまったことが悲しかったの。ずっと気になってたときめき分類学の更なる研究が必要です、「DNA」はあくまで自分の中に眠っている「本能的な欲求」「未知への好奇心」をモチーフにしたもの、という解釈にとどめておくのが妥当でしょう。DNAの分子モデルは螺旋状の構造体として知られています、難しいことはわかりませんが。ラブライブ!の根幹である「輝きの円環」に通じるモチーフとして、畑先生はこの言葉を登場させたのかもしれませんね。

 

そういえば、人の話を聞かないといえば小原鞠莉松浦果南ですが、Guilty Kissとして小原鞠莉が宇宙に飛び出して行ったのは妙に納得がいく話です。彼女は最初から国と国とを渡り歩く国際派のスーパー高校生/理事長でしたし、今更飛行機を乗り継いで旅に出ても新しい冒険にはならなそうですから。あの子のスケール感でシャイニーとロマンを求めて飛び出して行ったら、大気圏ぐらい突破してしまうのでしょう。ギルキス1stの幕間アニメでも、パパにホワイトベースブラックベース買ってもらったって言ってましたし......。

そんな破天荒な小原鞠莉保護者親友であるところの松浦果南黒澤ダイヤですが、ふたりが2年もの間海の向こうの異国へと想いを馳せていた過去、今更語らずとも良いでしょう。卒業旅行では小原鞠莉と共にイタリアへ飛んだ彼女たちですが、図らずとも結果として後輩たちを新しい冒険へと巻き込みます。人生の制空権を手にしている3年生組ですから。その後の時系列のユニットシングルで、AZALEAがCAに扮して「あなた」を新たな旅へと連れ出すのも、道理が通っていると思いませんか?旅は、ここから!

 

 

これは余談なのですが、果南さんが “絶対がないセカイ” と歌うのを聴くと「スクールアイドルは・・・絶対やらない!」「ここで止めたら後悔するよ。絶対出来るから!」「外の人にも見てもらうとかラブライブに優勝して学校を救うとか、そんなのは絶対に無理なんだよ!」などと、感情的になる場面でいつも「絶対」という言葉を口にしていたことを思い出しますわ。果南さん、大人になりましたわね......(松浦果南の保護者感)。

 

 

 

 

 

 

・『空中恋愛論

なんということでしょう。東京の大学に進学した誰かさんが変な講義を選択してしまう世界線にたどり着いてしまいました。ここはどこ、まだ夢の続き?

ともあれ、目が覚めても夢の中にいる現状に困惑する様子のAZALEA、実にメタ的ですね。アニメの物語ではスクールアイドルとしての活動に終止符を打ったはずの3年生組ですが、青春という熱にうなされた状態のままの彼女たちが、後の時系列のセカイでAZALEAとして存在しているわけですから。“どの世界線にいるの?わからない...” と3年生組が歌うことにおかしな現実味があります。

ラブライブ!の歌詞に「世界線」という直接的にメタ視点の言葉が放り込まれたのは初めてのことで、このコンテンツの中では極めてエポックな出来事であると私は考えています。アニメ1期ではメタ的なメッセージを背負い、道化回しの役割を担った黒澤ダイヤがいるAZALEAならではの作詞でしょう。

聴き手からすれば異質な世界線の楽曲ですが、彼女たちがいる世界では空と大地が逆になっているようですから大変です。世界線ぐらいのことで驚いている場合ではありません。ところが妙に達観していて動じない国木田花丸と、妙に肝が座っていて楽観的な松浦果南に挟まれて、ひとりだけ現実を背負わされる常識人・黒澤ダイヤです。相変わらず損な役回りでなんだか可哀想ですが、そんなふたりが隣にいることに少なからず救われている黒澤ダイヤかもしれません。

ともあれ、あまりにもあんまりな状況下で “ここはどこ?” “落ち着きましょう” “わからない...” とひとりだけ常識人としてリアクションしている彼女が愛おしくて仕方がないですね。歌い方にも無垢さと困惑の色が差分なく乗っていて、小宮さんの声色の魅力が素晴らしい加点となっています。本当にかわいらしい。

黒澤ダイヤという人物は畑亜貴先生の大のお気に入りのようですから、またいいようにアイドル像を演じさせられてる感がありますね。とても人が悪いお方で(褒めてる)。

そんな想像上の世界に放り込まれたAZALEAですが、なんだか楽しそうで何よりです。ときめきを追いかけている限り、どんな状況下に置かれても恋い焦がれる気持ちが最優先。空と大地が逆さだろうと瑣末ごとなのです。ときめきを求めてしまう気持ちは自分にも止められない、理性を手放して恋の熱にイカれてしまう瞬間が見事に表現された歌詞に完敗です。

 

恋愛論を語るだけなら
 きっと胸は痛まない
 それでも知りたいのですね
 届かない涙が 甘いこと”

 

これは要するに畑亜貴流の「机上の空論」なのですが、過去のAZALEAを振り返ると「想像だけのドキドキが大好き」と歌っていた『ときめき分類学』との対比が効いてますよね。恋へと一歩踏み込んだ距離感、キレのあるリアルな味わい深さが感じられます。「でも論じて 論より証拠なら」畑亜貴節が炸裂してますね。

「届かない涙が 甘いこと」

これ趣深くて良いです、傑作ですわ。畑亜貴先生の言葉の切れ味には背筋がゾッとしますね。私的に「青く透明な私になりたい」「愛のうたの香りは 潮風より青くて」に匹敵するぐらい、お気に入りのフレーズです。

 

 

これは余談なのですが、「Superfly」は俗語で麻薬の売人を意味するそうです。この曲やけにぶっ飛んだ歌詞だと思ったら、やっぱりそういうことだったんですね.......。それはそうとして、きっと恋は麻薬なのでしょう。尚、麻薬はダメ絶対。ぶっぶーですわ!

 

 

 

 

・『メイズセカイ』

また不思議で楽しい造語が出てきました、言葉が遊んでますね。「Amazing」から文字って「Maze」に繋がっているわけですが。ここにきてAZALEAを「迷路」へと送り込む畑亜貴先生の采配です...。彼女たちが迷い込んだのは恋の迷宮か、はたまた思考の迷路なのか。あるいは自由を手にしたことで与えられた無限の選択肢、人生そのものでしょうか。

“ah 迷路ではひとり” と、導いてくれる人を待ち望んでいたAZALEAはもういないのですね。自分から「君」の手を取り、自らの意思でミライへの前進を心に決めた彼女たち。AZALEAはどこか悲劇のヒロインめいた幼さと知的さが同居した危うさが魅力的ですが、滅亡寸前(かもしれないという所がミソ)のセカイに立ち向かうヒロイン、 という構図は実にヒロイックで。これまでとは一味違いますね。

なぜかやけに大げさに悲劇的な境遇に置かれているように振舞うAZALEAですが、それはきっと彼女たちにとっての世界での大問題、ということなのでしょうか。それが世界の全てではなく、その外側にも世界が広がっていることを既に知っている。自分のチカラで抜け出せるであろうことは分かっていて、今の場所から抜け出す決心はしたけれどやっぱり不安もあって、だからこそ強がった態度で「君」を急かそうとする。自分の弱さを見せまいと、敢えてセカイの危機をほのめかして大げさな素振りを見せているのかもしれません。

あるはずのない迷路に迷ってしまいそうで、だからこそ「君」にそばにいて欲しい。そんないじらしいAZALEAに “Don't let me down” と言わせてしまう畑亜貴先生のセンス、ちょっと意地悪で良いですね。臆面もなくそんな言葉を言えてしまうAZALEAの純粋さが眩しい。手放しで「君」に期待を寄せ信じてしまうことができる、そんな危うげな無邪気さよ。それもただ若さに由来する勢いだけではなく、自分が夢を見ていることをどこか察していて、だからこそ今この瞬間に湧き上がる感情を信じたい。クレバーな彼女たちが直感で突き抜けたいと願うことのエモーショナルさ、胸を揺さぶるものがあります。

やりたい放題に見える畑亜貴先生ですが、「暗いと」と「フライト」で韻踏ませてたり、「謎めいたカラー」と「ここにいるから」で文末を揃えてたり、耳で聴いていて小気味好い仕掛けが仕込まれているところまで圧巻の作詞です。

 

“強くなると決めました

 ひとりでも旅立てるけど

 君と一緒ならば...ステキです!”

 

極め付けはこのDメロの歌詞、完璧に完成された世界です。黒澤ダイヤ “ひとりでも旅立てるけど” と歌うことに、何も感じない人などいないでしょう。

 

 

 

AZALEAが「笑顔で明日を語れるセカイ」を守りたいと願うのなら、私たちもすぐにやるべきことを探さなければなりません。何しろセカイはいまや滅亡寸前なのかもしれないですから。彼女たちが諦めないと決めてしまった以上、私たちも共に前に進む決心をするべきでしょう。カオスな空でもずっと一緒に。

......なんだか妙にイマの世界の雲行きと重なる歌詞ですよね。畑亜貴先生、やはり予言者なのでは。

 

 

 

 

 

・Amazing Travelを終えての所感

どうしても過去の文脈から線を引いて物語を繋げようとすると、3年生組にばかりフィーチャーしてしまいますね。国木田花丸の思想や人生観に関する読み込みと洞察が全く足りていないので、彼女の視点から捉えたAZALEA像も想像できたら良いなと思います。

私の中にはもともと、国木田花丸がAZALEAの作詞担当だという前提があるのですが......もちろん公然の事実ではありません、私の中での話です。何しろ国木田花丸Aqoursの中でも精神年齢が最年長みたいなところがありますし、文学や仏教にも精通していそうなところがあるので、3年生組と同じ目線の高さで人生を見据えられると仮定してもさほど不自然でもないように感じます。故に彼女がAZALEAの作詞を担当していると仮定しても、解釈にあまり無理が生じないような。

そもそもこの記事は「畑亜貴先生が作詞をしている」というメタ視点で書き進めてしまったため、AZALEAで作詞を担当する国木田花丸にはうまいこと触れられませんでした。畑亜貴先生の代弁者としての役割を国木田花丸に担ってもらっても、仏教にも精通した文学少女という設定は便利すぎて解釈に整合性がついてしまいそうです。 

 

 

 

私は「解釈は二次創作」という考え方を支持しているので、この怪文書を読んでくれたあなたにもそう思って頂ければ幸いです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『空中恋愛論』の “それでも知りたいのですね” という歌詞、妙に私の中に引っ掛かっています。ラブライブ!において、「それでも」の後に続く言葉が本質である というのが私の持論でもあって(例:それでも→輝きたい!)。国木田花丸ソロパートのこの歌詞、知的好奇心を抑えきれない様子がいかにも彼女らしいな と。

知らないことがあるのを楽しいと思えるのはステキだと思います、それは自分の外のセカイを肯定する態度です。私は知らないことを知らないままにしてしてしまいがちなので、もっと人や物事に関心をもった方がきっと楽しいのでしょう。

 

どんな感情であれ、相手の気持ちを知りたいと願ってしまいますか、はっきりさせたいと思いますか。私はあんまり思いません。ですので、あまり畑亜貴先生の歌詞にピンと来ないことが時々あります。もしかして、相手の気持ちを知りたいと願うのが女心というものなのでしょうか......。ときめき分類学は、続きます。

 

 

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