4月21日に伊波杏樹さん主演の舞台「ブラックダイス」を観劇してきました。
なにをやってもうまくいかない運が悪い女。そんな彼女の前に現れた百戦錬磨の詐欺師。
「お前と母親を捨てた父親から金を奪うんだ」彼女には生まれてから一度もあった事のない父親がいた。
負けっぱなしの女が人生を賭けた大勝負に挑む。人生の逆転劇はあるか!?
2014年、大好評だった「グッバイジョーカー」をベースに物語を再構築。
記憶が新しいうちに記しておこうと思います。
私は舞台というもの自体、10代の頃に学校行事で見た事がある程度で予備知識はゼロでした。
しかしAqours 1st LIVEでの伊波杏樹さんの歌唱時以外での表現力(「MIRAI TICKET」のミュージカル調の演技や、「夢で夜空を照らしたい」での表情芝居など)に引き込まれ、声優や2.5次元アイドルとしての姿ではなく "舞台女優 伊波杏樹" としての表現力、そしてAqoursキャストとしての活動を通して人間としても目覚ましい躍進を続けている彼女の "いま" の輝きをこの目で見届けたい、そう思ったのがきっかけでした。
※ブラックダイスを観劇するにあたり、脳内でノイズになりそうな高海千歌(c.v.伊波杏樹)という概念を忘れておこうと事前に気持ちの整理をしておきましたが、舞台に立った彼女は全くの別人でした。「本当にこの人は伊波杏樹が演じているのだろうか?」と、冒頭の場面でで思わず顔を確認してしまったほどに。完全に杞憂でした。
声のトーン、出で立ち、歩く時の身体の運び、その全てから伝わってくる人間性に「これが芽生(咲子)という人間・・・!!」と感じさせる、有無を言わさぬ説得力がありました。
ブラックダイス観劇のきっかけは「伊波杏樹」という人間への興味からでしたが、舞台というものを体感してみると、それはあまりに衝撃的な体験でした。
正直、舞台というものを舐めてかかっていたと認めるしかありせん。
実際に会場に入ってみると、開演前のキャパ300人のホールは想像していたより小さく感じられ、誰も立っていないステージを目にした最初の印象は「舞台って、こんなに狭いステージの上でやるんだ」っていうのが正直な感想でした。
これまでテレビや映画など、画面の向こう側で役者の芝居を目にする機会は幾らでもありました。
しかし、自分の肉眼で役者さんの表情が確認できる距離で、自分の目の前で生身の人間が発する声と、体の動きで物語が作られていく事の凄さ。想像の遥か上でした。
まさかここまで、ライブ感、空気感に圧倒され、息つく間もないほどに魅了されてのめり込む事になろうとは。
忘れることはないでしょう、あの物語の世界に引き込まれた瞬間の情景を。
開演予定時刻から5分ほど経った頃、場内の照明が落とされ、スピーカーから土砂降りの雨音が流れてくる。
ステージ反対側の客席入り口から、上着のフードを被った主人公がステージに向かって駆け込んで来る
その瞬間 空気が一変し、一瞬で物語の世界に引き込まれました。
その時の彼女の足音と後ろ姿が、今も強く脳裏に焼き付いています。
客席を駆け抜ける足音とその後ろ姿を目にした瞬間、今まで経験した事のない臨場感を感じ、これは途轍もなくヤバいものを体感する事になる・・・と直感したのでした。
開演前は狭く感じていたステージでしたが、実際にキャストが舞台上に立って物語が繰り広げられると、世界は一変。
そこはステージではなく実際に人間のドラマが息づいた、全く別の世界に変貌していきました。
舞台装置やセットが大きく変わる事は無かったにも関わらず、シーン毎にプロジェクターで映し出される映像や、照明の演出、音響やBGMの全てが相まって世界が広がっていく様は圧巻でした。
そして何よりも、演者さんの生命力に満ちた生き生きとした芝居と、息の合った抜群のチームワークが織り成す空気感。それらが舞台上に広がる事で、その世界観が現実以上に現実味に満ちた体感として五感を刺激した事に、これまで経験した事のない感動を受けました。
実際に自分の身体で、五感の全てで体感するという事。舞台というものが人を惹きつける理由がここにあったと知る、貴重な経験となりました。
ブラックダイスは、ストーリー自体は至ってシンプルでした
運が悪く何をやってもうまくいかない主人公が、借金を返すために詐欺師の手先となって一世一代の賭けに出る。その中で関わった人たちの想いが交錯し、やがて最後に投げられるダイスの目の命運に向かって収束していく。
登場する人物は最初はみんな、主人公である咲子の敵のように映るのですが、物語が進み個々のキャラクターや思想が掘り下げられていく中で、それぞれに自分にとっての正義があり、思いがあり、愛がある事がわかっていく。
演者さんの好演がまたキャラクターの魅力や人間臭さを引き出していて、物語が終わる頃には登場人物みんなを好きになっている自分がいました。
私自身が "運が悪くて" "何をやってもうまくいかない" という自分自身に負い目のようなものを感じて生きてきたので、この舞台のストーリーや台詞、物語に込められたメッセージや人生の哲学。たくさんの要素が心に突き刺さりました。
心に刻んでおきたい言葉とシーンをいくつか記しておきたいと思います。
心が変われば結果は変わる。
心に一片の迷いも無く勝てると信じれば、必ず勝てる
成沢が咲子に送ったこの言葉には自分の運命を、人生をも変える力があります。
胸に刻み付けてずっと大切にしていきたい、1番胸に響いた言葉です。
「胸に確かなもの持ってたらそれだけで何とかなるって」SKY JOURNEY
傷をなめ合ってる連中より、孤独な奴は自分と向き合っている。信用できるのはちゃんと一人で考えてるやつだ。
八代が咲子に送った言葉です。咲子を初めて肯定してくれた言葉でもあります。
馴れ合いよりも自分自身を大切にする事を語る八代は、孤高で格好良かったです。
「もうわかっているんだ 孤独が自分を高めること いま全て勝ち取れ」Saint Snow
世の中の不幸を全て背負ったような顔して。
芽生が咲子に言った言葉です。辛辣ですが、芽生の優しさだって思います。
自分で自分自身を不幸だと思ってしまうこと、それこそが何よりも不幸なことなんですね。「心が変われば自分が変わる」っていう咲子に向けたメッセージにも聞こえます。
娘の前では良い父親を演じてきたと話す成沢ですが、芽生はちゃんと父親の思想を受け継いでいるのかもしれません。
「それをここで言って何になるの。何も始まらないし、誰もいい思いをしない」1期12話の綾瀬絵里
演じるんだよ。もうひとりの自分を。惨めで哀れな自分とお別れするんだ。
赤木が咲子に言った言葉です。ここで「違う自分を」って言わない所に、赤木が咲子に対して背中を押したいという気持ちがあるように感じました。「もうひとりの自分」というのが父親に捨てられなかった世界線の咲子を指すのか、臼田芽生を指すのかの真意はわかりませんが、私は前者だと思います。
"咲子"として笑顔の自分自身を演じる事が、自分の殻を破る事に繋がっていく。
そのストーリーを、役を演じる中でキャタクターに引っ張られる形で影響を受けて、人間として成長をする事ができたというエピソードを持つ伊波さんが演じる事に、運命的なものを、そして強い説得力を感じました。
黒川という男も、芽生に想いを寄せる自分を演じる中で彼女の魅力を知り、やがて本当に心から芽生を好きになっていた事が最後のシーンで明かされます。違う自分を演じる事で行動が変わり、それが "心が変わる" という事に繋がるんだというメッセージを感じます。
「わたし・・・ウチ、東條希!」2期8話の東條希
散りゆく桜を美しいと思えるのは きっとまた来年も桜が咲く事を知っているからです
伊波杏樹さんが演じる「咲子」が客席の階段を駆け降りてくる後ろ姿で始まり、ステージの階段を駆け上がっていく後ろ姿を見送る形でストーリーは終わりますが、その背中は始まりのシーンとはまるで別人のように変わっていました。
最初のシーンでは背中を丸めて俯きながら、まさに死に急いでいるような足取りで階段を駆け下りてきた彼女でしたが、父親に別れを告げて階段を駆け上っていく彼女の背中は未来への希望に溢れていて、笑顔で踵を返す瞬間に肩で空を切る仕草にさえ、彼女の生きる事への喜びが感じられるような、素晴らしい演技でした。
彼女自身の意志の力で、運命が変わった事。希望を胸に抱いて生きていける事への喜び。それらの全てが彼女のあの後ろ姿に詰まっているようで、私はあのシーンが大好きです。
「とべるよ!」劇場版の高坂穂乃花
お母さん、どうしてかな。今年の桜、綺麗です
舞い散る桜の花びらと戯れる咲子は、生きる喜びと未来への希望に溢れていました。表情、仕草、体の動きその全てで輝きを表現する伊波さんは、美しかった。
舞台の中央に座った彼女の姿に、照明が消える瞬間まで魅入られ、心を鷲掴みにされました。永遠にこの時間が続いて欲しい、そう願うほどに、眩い輝きを放っていました。
私が心の底から見たいと切望した "舞台女優 伊波杏樹" の姿がそこにありました。
舞い散る桜の花びらの一片を掴み、愛おしそうに抱きしめるシーン。
サ!12話「はばたきのとき」のラストカットの高海千歌
たった4日間という短い期間で、限られた人しか体験できなかったブラックダイスという舞台。この素晴らしいステージを観覧できた事を、とても幸運に思います。
キャストの方々が生命力を注ぎ込んで役を演じる舞台に、同じ回は二度と無いのだという事を肌で感じました。
舞台とは、ステージ上で一期一会の物語が、人の声と体によって作り出されていくライブだったんですね。
そしてこの物語には、人生を前向きに生きていける考え方と、大切にしていきたい哲学がたくさん詰まっていました。
この一期一会の出会いから得られたものを大切に胸に仕舞って、私も咲子のように "遅咲きの花" を咲かせたいと強く思いました。