「上海風、蟹」
もはや料理じゃなくて蟹なの、かなり好き。何度見ても笑う。
すみれが文句のひとつも言わずに中華料理を作ってあげたの、ちょっと意外だった。いつもみたいに嫌味っぽくいじったり、盛大にマウント取りに行っても面白い場面だったのに。謙虚だったし、可可のメンツ潰そうともしなかったし、ふつーにいいやつだった。
あれ、可可が料理を作ろうとした理由が「お招き頂いたお礼に」だったからかな。すみれって貸し借りは明確にする、恩はきっちり義で返すタイプだと思うから、ちょっと共感はあったと思うし。
そもそもお人好しすぎて放っておけなかっただけって説は濃厚だけど。
そして何よりも、〝サニパの二人の為に何かをしてあげたい〟という可可の気持ちに、すみれは心を動かされたんじゃないかと思ってる。
可可の「人のために料理をしてあげたい」気持ちが、すみれを「可可やみんなのために料理をしてあげたい」気持ちにさせたのかな。その気持ちを応援してあげたくなったんだと思う。
この話数は〝誰の為に〟〝何の為に〟を自分に問う回にもなっていたり。
すみれは「可可にはできないこと」を「可可の為に」してあげたんだけど、可可は「自分にはできないこと」をさらりとやってのけるすみれに対して、「なんか悔しいです!」になっちゃう。すみれは可可のためにやってあげたのにね、かわいい。
可可は料理はできないけれど、その代わり謎技術でステージの舞台装置を作ってあげて借りを返すことに成功してる。「自分にしかできないこと」で、だ。
〝誰かのために何かをしてあげたい〟っていう純粋な気持ちに呼応して生まれる〝誰かを助けてあげたい〟気持ち。それに対する〝助けられて悔しい〟って気持ちだったり、だからこそ〝誰かにはできないけど、自分にはできることで助けてあげたい〟と決意に燃える気持ちだったり。
6話でのかのんと千砂都の関係は、ふたりの間でだけ共有される特別な感覚で描かれていてから、その繊細な心の機微は全てが言葉では語られないからこそ、端的で、愛おしく、美しい。
そんなふたりの幼馴染の関係を描いた物語のあらすじが、実はすみれと可可のドタバタ劇でコミカルに解説されていたんだな〜 と、気付いたので少しだけ書き記してみました。
みんなはもうとっくに気付いてたかもしれないけど。こういうとこ、やっぱラブライブ!ってAパートが伏線?になってるのが本当よくできてるよな〜って感心しました。
かのんと千砂都が、互いが見ている満月の写真を送りあうシーン。
お互いがお互いのために何かをしてあげたいと思って、同じ時間に同じことを考えていて。5話の星空のシーンもそうだったけど、幸せな気持ちをいちばん最初に共有したくなる相手って...やっぱりそういうことですよね。
「どうしたのデスか?」「ううん、なんでもない」って、たわいもないことだから可可には話さないけれど、たわいもないことだけど、かのんは千砂都と同じ月を見ていることが嬉しい。でも嬉しい気持ちを共有はしない、かのんと千砂都の間だけの秘密。
たわいもない秘密の共有、秘密だから特別になる。
背景に百合を咲かすんじゃあないよ。
私ね、ずっと夢見ていた気がする──
────こういう日が来ることを。
満天の星空も、まんまるの満月も、ふたりで見たいと願って、でもふたり並んで見ることは叶わなくて。
そんなふたりが、お互いの秘密を打ち明け合って、長い年月を経てようやく肩を並べることができて。
そして今ふたりの前にあるのは、水平線に落ちゆく美しい夕陽。あまりにも美しい情景が目の前にあると言うのに、千砂都はそれに背を向けてこう言うんです。夢見ていた、と。
私の瞳に映るのは、今も昔も、あなただけ。
澁谷かのんが、私の太陽。