あきの忘備録

あきのの外部記憶装置

1話感想

 

「輝きって、いったいどこから来るんだろう?」

 

 

10月7日。部屋の電気を消して自室の暗闇の中でひとり、ノートPCを開いた私は訳のわからない緊張感の中で22時半を待った。

そして画面にかじりつくようにラブライブ!サンシャイン!!2期1話を見た。

画面の光に照らされた私はその輝きから目を背ける事もできず、ただひたすら圧倒されて30分間を過ごした。

涙と鼻水が止め処なく流れては口に入ってきたが、1m先のボックスティシュに手を伸ばす事すら億劫で、身動きすらできずに見終えた。

あれは何だったのだろうか。

 

動悸が高鳴り、呼吸は浅く乱れていた。吐き気すら催しトイレに駆け込んだ。吐いてしまえば楽になると思ったが、身体からは何も出てこなかった。

夕食を食べていなかったのかもしれない。意識が不確かで、1話を観る前の記憶は薄ぼんやりとしていた。

ベッドに横になると、ぐちゃぐちゃの頭の中をぐるぐると映像が廻った。ツイッターを開いて何か喋ろうとしたが「もうだめだ」「強すぎた」ぐらいの事しか思い浮かばず、TLで誰かの声を見る事も聞く事もしたくなかった。

うんうん唸りながら狭いベッドの転がること30分。ようやく正気を取り戻し、身体に感じた不調も収まったように思われたので、意を決して2周目を見る事にした。

時計に目をやると、放送終了時刻から既に45分ほど経過していた。

 

 

あれは、一体何だったんだろう。

確かめる必要があった、なにもかも。自分の納得のいくところまで。

 

 

 

 

 

感想やら考察やら、書いてみようかとも思ったのですが。まとまらないので2期1話を見て、死ぬほど輝きを食らった様子をドキュメンタリータッチ(?)で書いてみました。

 

 

 

そしたらただの日記になりましたね。

 

 

 

輝きと真正面から向き合って、1話放送後に関連記事を上げている方がたくさんいらっしゃいますね。

私にはその人たちが眩しくて仕方がない。というかアニメ本編の考察、感想記事はひとつも見ていません。今後も当分見れないでしょう。

 

楽曲の考察であれば解釈にある程度の余地は残されていますが、アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」の物語や演出には明確な意図があり、そこには必ず正解がある。しかしその全てに自分の解釈が沿えるとは私は思っていません。

いちばん伝えたい想いを受け取れるかどうか、そして受け取った上でどうするのか。

受け取った強いメッセージは言葉にすれば、その言葉は必ず自分に帰ってくる。

刃物を握って良いのは刃物を向けられる覚悟のある人だけです、そして私にはその覚悟がない。

 

せっかく大好きな作品についてアウトプットできる環境があるので、話数ごとのお気に入りのシーンを紹介したり、ED映像と歌詞の考察なんかをやってみたい気持ちはあります。でも、躊躇してしまう。

受け取った事を自分の解釈を添えて発信するよりも、受け取った上でどう行動するのかの方がこの作品の本質に沿えるような気がしていて。

 

 

本当に1話は凄かった。

 

 

「0」を「1」にした先で、「1」をどうするのか。「1」とどう向き合うのか。という点に注目が集まった話数だったはずです。

しかし私には、千歌ちゃんが「1」を手にした先でもう一度「0」の自分と向き合った回に思えたんです。恐らく普通の人と解釈が違うであろうことは目に見えています。

 

単純に、ここ数ヶ月私が自分自身への課題としてきた "自分を「0」にして「0」の自分を受け入れる" というテーマと、"普通怪獣" としての叫び声を上げた彼女の姿が重なって見えたんです。

まさに自分のためのアニメだと思ったし、秋の2期はあきのニキのためのアニメ、という持ちネタが現実になってしまった瞬間でした。

常に突き付けられますね。変われない自分と、変われない事に対する言い訳と、勇気のない自分と。彼女達はそれを全部、意志のチカラで乗り越えて現実を変えていこうとする。眩しくないわけがない、あまりに純粋な"輝き"なんですよね。

 

紙飛行機は彼女達の後を追うようにして太陽に向かっていく。

私も彼女達に置いて行かれないように、自分の輝きを目指して進みたいと思いました。