大丈夫、なくならないよ。
浦の星も、この校舎も、グラウンドも、図書室も、屋上も、部室も。
海も、砂浜も、バス停も、太陽も、船も、空も、山も、街も。
───Aqoursも。
帰ろう!
全部、全部、全部ここにある!
ここに残っている、0には絶対ならないんだよ。
わたしたちの中に残って、ずっとそばにいる。
ずっと一緒に歩いていく。全部、私たちの一部なんだよ。
だから!────
────いつも始まりはゼロだった!
『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』より
劇場版も5thの感想も書き留めることなく2019年を終えてしまい、やり残したな という思いが胸の中でざらざらと咎める年明けでした。
とはいえ今更敢えて語らずとも、文章として形に残さずとも、全部ここにある。私の中の高海千歌は「大丈夫、なくならないよ」と、いつだってそう言葉を掛けてくれました。不意に彼女の言葉を思い出すたび、甘く苦しく、切なくて幸せな、大切な気持ちの存在を胸の中に感じてきました。都度、胸に手を当てて記憶の置き場所を確かめます。イタリアの夜に、松浦果南が彼女にした仕草をなぞるかのように。
遠い異国の地へと飛び立ち、海を越えた先で高海千歌が受け取った言葉は「全部ここにある」。答えを手にした彼女ですが、自分で実感に辿り着かなければそれは答え足り得ません。海の向こう側にではなく、それは既に自分たちの中にあった。確信に至るまで彼女はその何かを探し求めました。
「わかった!私たちの新しいAqoursが。」
考えて辿り着く理屈よりも、自らの足で進み続けた道程の先で感じたものだけが答えになり得る。
私自身もまた同じく、「わかった」に辿り着くまで長い道のりを要しました。
あるとき日常の中でふと 足を止めると、『Everything is here』の旋律が優しく胸の扉を とん と押してきたのです。
思い出がこぼれるように鍵盤が鳴って、頭の中で流れるメロディが記憶をなぞっていく。浦女の坂を夢中で駆け下りる9人の影が瞼に映る。何度も繰り返し観た映像が、音楽が胸の中を駆け巡りました。
「それは絶対、消えないものだから。」
全部全部全部、ここにある。
胸の中に過ぎ去った日々が蘇り、じんわりと温かい何かが私を満たしました。
劇場版の公開から一年もの歳月が流れていました。
2019年末に久々に会った友人と、「劇場版からの5thで、物語はひとつの結実を迎えた」 という話をしました。奇しくもその感覚はふたりの間では齟齬なく共有され、またラブライブ!サンシャイン!!と自分たちとの関係性について、深く共感できたのではないかとその時私は感じました。
「聞こえた...?」
言葉で語るにはあまりに曖昧なそれに頷いてくれる人がいて、漠然としていた実感が確信へと近付くのを感じました。
ラブライブ!サンシャイン!!の物語の主体が現実のAqoursへと受け渡されていく中で、「決して消えない輝き」は私たちの中にも宿されていた。胸の中でじんわりと感じる温度を絶やさないように、私は年明けにあの地へと足を運びました。
「帰ろう!」
いちばん彼女たちの存在を身近に感じられる地で、恐らく見納めになるであろう、劇場でのスクールアイドルの旅立ちを見届けました。スクリーンの向こう側では一年前と同じ時間が流れていて、対する自分は物語の感じ方が変化していることが時の流れを実感させます。
「理由はどうあれ、一度卒業する3人と話をした方がいいって。」
「自分たちで新しい一歩を踏み出すために、今までをきちんと振り返ることは悪いことではないと思いますよ。」
鹿角聖良の言葉を受けて、やはりもう一度劇場版と5thのことを振り返ることが自分が前に進むために必要だと感じた私は、予約もしていなかった5thのブルーレイをゲーマーズで購入して沼津を後にしました。
「ライブの練習はどこだってできるし、これまでだってやってこれたじゃん。大丈夫、できるよ!」
もはや自分の中に新鮮な記憶は見当たりませんでしたが、今一度Aqoursの物語と向き合って思うことを書き記すことにしました。
私の中に残っている5thライブの記憶はほとんどなく、アンコールで会場に虹が掛かったこと、22曲目の『Next SPARKLING!!』以外に鮮明なものはありませんでした。
5thライブの当時、ツイッターを離れていた私は何も知らずにアンコールでは一心に「Aqoursコール」を続けていました。息が切れ始めてきた頃、ぼーっと視界に入っていた対岸のスタンド席を眺めては「目の錯覚ってあるんだな」と酸欠を感じていました。席のブロックごとに色が分かれていくのを連番者が指差した時、ようやく異変に気付いた私は「なぜあの人たちは自分が担当する色が分かるの?」と混乱したのを覚えています。慌てて向かい側の同じ高さのスタンド席と同じ色にサイリウムを変えた頃には、ドームが虹色になっていました。美しかった...。
ラブライブ!を好きでいると、本当に思ってもみなかったような体験をすることがあります。予想だにしていなかった出来事に遭遇した時、人はそれを奇跡であると感じる。というのが私の持論ですが、実際その通りで私はあの光景を奇跡だと思ったのです。
ブルーレイで5thを客観的に振り返ってみると、5thは紛うことなく完璧にスクールアイドルムービーを顕現させたライブでした。観客が劇場版の世界の中に没入できるよう徹底して作り込まれていて、そこに物語の一部として観客の存在が介入する余白などなかったはずだと思います。(後述しますが)ある一部分を除いて。ただ、不思議な力が働いて虹が掛かり、新生Aqoursの点呼では「10!」と私たちは叫んだ。ファンがライブに介在するという意思の有無の話ではなく、ライブの場に参加する以上はそうすることが自分たちの必然であったように思うし、私自身はそれで良かったのだと思います。
アンコール最後に披露された『Next SPARKLING!!』は本当に素晴らしかった。
シリーズ屈指の名シーン、新生Aqoursの始まりは本来は10人目である私たちには介在できないはずの、ステージ裏での出来事でした。あのシーンを現実のAqoursが自らなぞり、それを私たちが見届けることはある種の儀式のようなものであったと考えています。彼女たちにとっても、私たちにとっても。
極論を言ってしまえば、あのシーンで「10!」のコールを叫ぶことは劇場の応援上映でもできます。あの日はライブという特別な場所で、私たちの目の前で「物語をなぞるだけではない、本当の始まり」を現実のAqoursがやってくれたのだと思っています。あの場で生まれた6人の(あるいは9人の)本物の感情に共鳴して、私たちも声を上げた。それはAqoursのライブだから「10!」と叫ぶという様式美のようなものではなく、私たちもまたラブライブ!サンシャイン!!という物語のひとつの収束を受け入れ、その先の未来でも「10人目」として輝きを追い求めていく。その決意表明の瞬間だったのだと私は受け取っています。それは先述したように、ある種の儀式であったのだとも。
ラブライブ!においてライブ前の円陣・点呼はある種の儀式のような役割を果たしてきたと考えています。アニメにおいても現実においても。そのステージがどんな意味合いを持つものであるかを再確認し、また彼女たちがステージに何者として立つのかという覚悟を決めるための。
「さあ、精一杯歌おう!」
「みんなのために!」
「思いを込めて!」
「響かせよう!」
「この歌を!」
「私たちの始まりの歌を!」
降幡さんが黒澤ルビィとしてステージの端で観客席側にお辞儀をして、5人が待つ円陣へと加わり、そして点呼へと。5thライブで最も現実と非現実が交錯したであろうこのシーンは、Aqoursキャストの発案で演出としてライブまでのスケジュールのギリギリで加えられたものであったと、後に浦ラジで明かされています。
ライブでのシンクロという要素を重視してきたラブライブ!サンシャイン!!のプロジェクトチームであれば、最初からライブ構成にこの演出が盛り込まれて然るべきであろう という憶測は容易です。でありながら、そうではなかった。
あくまで憶測に過ぎませんが、私はこれが現実のAqoursにとって重要な儀式だったからだと考えています。なぜならば、全部自分たちで考えて作り上げたステージでなければ、『Next SPARKLING!!』のライブは本当の意味で体現されないからです。そして、プロジェクトチームによって用意された演出でステージ裏のシーンを再現したとしても、限りなくアニメとシンクロした再現にしかならないでしょう。現実のAqoursが自分たちの意思で「やりたい!」と願った上で、あのセリフをステージ上で本物の感情を込めて言葉にする。それは現実のAqoursにとって、彼女たちが「アニメのAqoursに代わって物語の主体となる新生Aqours」になるのに必要な儀式だったのだと思います。
ステージ演出として観客に円陣の一連のシーンを見せておきながらマイクはオフになっており、曲が始まる前のセリフは劇場版と同じ、アフレコで収録された音声が流れていました。キャストがスクリーンの映像に合わせてセリフのタイミングを合わせるのは、技術的には難しいであろうことは想像できるため、敢えてやらなかったのか、やりたくてもできなかったかは分かりませんが。結果として、ステージで発せられた6人の声は円陣の中にだけ響きました。
『Next SPARKLING!!』のステージが体現を重視したものである、という話をしてきましたが、もちろん実際に3年生組のキャストがAqoursの活動を離れるわけではありません。この部分がアニメとは決定的に異なるため、現実のAqoursが物語の主体として9人で存続すると矛盾が生まれてしまいます。このジレンマを解消するためには世界線の分岐が必要不可欠であり、尚且つAqoursが「新しいみんなで叶える物語」としてこの先もストーリーを紡いていくためには、「みんな」と一緒にその世界線を越えなければなりません。スクールアイドルとしてのレーゾンデートルを守るには、「みんなと一緒に」であることが絶対不可欠なのです。
「1からその先へ!みんなと共に、その先の未来へ!!」
「Aqours─────!!Sunshine!!!!」
つまり、その世界線を越えることこそが「Over The Rainbow」であり、その瞬間に私たち「10人目」が居合わせ見届ける。その儀式が行われたのが『Next SPARKLING!!』であったと解釈しています。
『Next SPARKLING!!』のステージは、アニメと現実の世界線が限りなくシンクロしたものでした。異なる世界線がステージという一点で交錯し、そこで現実のAqoursに生まれた嘘偽りない本物の感情、つまりアニメのAqoursと同じ感情を体現することで、アニメの物語から現実の物語へとシームレスに物語の主体が渡ったのです。
劇場版のラストシーンをなぞるように、同曲のアウトロでAqoursはステージを後にしました。観客側に背を向けた彼女たちは、一歩一歩を踏みしめるように虹色の階段をのぼって行きます。「Over The Rainbow」の光景を、その後ろ姿を私たちはそっと見守りました。
虹を越えた9人が両手を繋ぐ瞬間、小林さんの右手は私たちの方へ差し出されます。深々とお辞儀をすると笑顔で両手を振るAqours。リフターが降りてだんだんと彼女たちの姿が見えなくなる光景を、私たちは誇らしさと寂しさが入り混じった気持ちで見届けました。
あの瞬間の私たちの感情はまさに、劇場版ラブライブ!サンシャイン!!そのものでした。劇中の『Next SPARKLING!!』の旅立ちのシーン、新生Aqoursのステージを見届けると名残惜しそうに、愛おしさを抱きしめるように無言で旅立っていった3年生組。ステージ上のAqoursを見送る私たちは、紛れもなく劇中の彼女たちと同じ気持ちを体験したのだと思います。
いつまでもここにいたい
みんなの想いはきっとひとつだよ
そしてライブのラストは彼女たちの姿が見えなくなった後で締められました。伊波さんの渾身の「Aqours────!!」の掛け声に続いて、会場の全員を含めた「Sunshine!!!!」のコールで大団円を迎えた5thライブ。
ダブルアンコールが起こることもなく、観客席に照明が灯るまで温かい拍手に包まれた会場。告知が一切ないままライブが幕を閉じたことの寂しさを誰もが抱えつつ、それでも素晴らしいライブだったとAqoursを賞賛するムードがそこにはあり、それはまるで劇場版を観終えた後のような心境でした。
と言うよりも5thライブにおいて、Aqoursだけでなく私たちもまたラブライブ!サンシャイン!!の一部だったのだとすら思います。アニメの世界への没入から始まり、最後にはアニメの世界から現実の世界へとシームレスに移行したライブで、私たちはAqoursと共に声を上げました。
物語の主体が現実のAqoursへと引き渡されても、ラブライブ!サンシャイン!!は続いていく。私たちもまた、私たちのラブライブ!サンシャイン!!を続けていく。
ブルーレイのメイキング映像では、5thライブ初日の終幕直後の舞台裏で「大成功だよ!」と、嬉しそうに顔をほころばせる伊波さんの姿が映されていました。劇中の高海千歌も、新生Aqoursのステージを終えた時にはあんな表情をしていたのだろうなぁ と思っています。
青い鳥があの虹を越えて飛べたんだから、
私たちにだってきっとできるよ!
虹を越えた先には未体験の地平線があって、
その先にはきっと誰も見たことがない、夢のような世界が待ってる。
Aqoursの物語はこの先もずっと私たちと共にあるし、
虹ヶ咲の物語はまだまだ始まったばかりだし、
μ'sの決意も、あの日の想いも、涙も、全部無かったことにはならない。
全部、全部、全部、ここにある。
過去とは違うかたちのAqoursやμ'sがあっても、それでいい。
だって、
「今が最高!」でしょ?
ラブライブ!フェス、みんなで最高に楽しもうな!